僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

どのくらいいるんだろう?

未来(少し先)を見据えて今、動いてます自分、、ってヒト。

 

 

皆さんはどうでしょうか?

 

「今を生きる」という言葉が一時、流布しましたが、今を生きるとはどういうことなのだろうか、、とただその言葉を受け取ってみます。すると、今現在を考え抜いて今現在の為だけに生きる、生き残る!という手段のための意味合いが強くでる文言なんだと僕は感じていて、捉えていました。

 

でも、なんかそれは直接的すぎないか・・・とふと思いつきました。今を生きるとは何を指しているのか、短絡的に捉えるのではなくその言葉の意味を考えてみたとき、それは現在の生を未来の自分の生に繋げるための言葉なのではないかと思ったのです。

つまり、少し先(未来)の自分の状況を考えて今の自分の行動を考えよう、という言葉ではないのかと思ったのです。

 

自分という生の未来には確定的な要素は何一つありません。すぐ先にはあっけなく死んでしまう可能性だって含まれています。

いつになったって、不安定は不安定です。グラグラしっぱなしです。それはほぼサダメみたいなものなのだろうと思います。特に生においては。

 

しかし、自分の行動についてはちがう。不安定な要素はほとんどなく、自分の意志ひとつで小さな何かを変えることだってできます。これから自分が何をやるのか、先の自分は何をして生きるのか、そういったことをもう一度僕も考えないといけない、、と思い始めました。まさに今、楳図かずお先生の漂流教室というマンガを読んでいるのですが、この本に影響されてのことだろうと思います。

 

安定が欲しい、、と感じる時、おそらく人はピンチの真っ最中です。

 

安定している時に、安定したい、とは考えないです。

 

主にそういうことが漂流教室の中では描かれていて、僕はそのメッセージを受け取ったのでしょう。人によって受け取るメッセージは様々でしょうが、僕はたまたまそれを受け取るべくして受け取りました。

 

僕はおそらくピンチの真っ只中にある、、とどこかでは感じとっている筈です。

だから、自分の行動に確信を持ちたいと願うのでしょう。安定とはそういうものです。

自分の行動が間違っていない、と思えたならそれほど自分にとって安定していることはないはずです。

行動に自信が持てない状況、何をしていいのかも解らない状況は不安です。

 

僕は安定が欲しい。そして、その為に動きたいと本当は思っているのではないか。でも怠惰な自分は一日をパソコンの前に座って無駄にしてしまっている。目先の欲望に囚われて、自分の不安を不安のままにして放っている。

そんな状況が嫌なのかもしれないです。

 

本当は僕は怠け者かもしれません。

 

それでも、やっぱり動いてみなければ、一向に不安は不安のままとして在るのです。

 

みなさんは、どうでしょうか。

 

ピンチでしょうか、安定していますでしょうか。

 

人はどうしたら、おもいっきし生命力が開くのでしょうか。

 

自分の可能性をどう表現するのでしょうか。

 

僕には1があれば、-1もあります。

 

つまり、真逆の存在が常に在るということです。

働けば、休む、という理屈と同じです。どちらが多いかという話しです。

僕は圧倒的に休むが多いです。

 

正しいことは自分が判断します。そして世の中の基準がそれを判定します。

そこにはある種の苦痛が伴います。自分の判断が曖昧である時です。

 

曖昧が多ければ多い程苦痛です。だからやっぱり覚悟しなくちゃならない気がします。

 

判断を決定付ける覚悟を。

僕はその覚悟が足りないのでしょう。

でも、なんとなくやらなきゃならないことは頭にあります。なんとなく動いた方がいいこともわかります。みなさんもそうかもしれません。もしくはもう動き出しているかもしれません。

 

人間が人間の社会の中でいきるということが、こういうことなのかもしれません。僕はそれを疑っていたのですが、本当にそうなのか?わからなかったのですが、ここまでくるとやっぱりそうなのかもしれません。

 

生きる為には動くこと。可能性を試す方法は動くことです。(動く前には考えることも必要かも?パッと反射的に動くことも可能。)

 

それが何をとっても一番賢い方法なのだろうな、と思いました。