僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

古書店の訪れ方

二〇十六年三月七日の昨日のこと。

岡山の駅を降りて西口付近に在る奉還町を随分と歩いた。自分にとってそこは特に目新しい場所ということでもない。だが、しばらく街を歩けていなかった自分の足や心は踊っていたと言えるだろう。奉還町商店街の中にはフリーに使えるトイレがあり、そこへは三度も通った。商店街というだけあって、雑多に店が建ち並び営業幕を掲げる店もあれば、店の中へしまいこんで灯を落とした店舗も見られる。中にはあそこはずうっとしまっているな、、という印象の残る店もある。奉還町商店街を別の言葉であらわすならば、ジャングルである。一つ視点を変えれば、さっきまで目に入っていた店とは全く別の新しい商売をやってる店が目に入る。視点を変えれば、新しい植物、生物、木の実などに出くわすジャングルと呼ばれる森林の最中とやはり似ている。もっと抽象的にいえば、ジャングルとは芸術に近い存在な気もする。奉還町の商店街はジャングルであり、芸術の様相を醸している。ともすれば、画廊喫茶なるものをみつけたりした。こんな具合の場所である、古美術商店など当たり前のようにあったりする。

そんな中を歩いていると多少ジャンキーな通りへとやってきた。金物屋さんからパン屋さん、お花屋さん、喫茶店、、と通り過ぎ、一目見れば"うん、なるほど!"とわかるような、いよいよ具体的な芸術と美術のお店が軒を連ねてくるゾーンがある。映画のパンフレットや昭和の日本、西洋レコードのワゴンを表に出している少々マニアックなお店。マンガやゲーム、絵本、文芸書、思想哲学専門書など幅広く扱う古本屋。多少の偏りとこだわりをみせる、日が暮れかける時分にようやく店を開く洋服屋。このようにお店の趣向は全体的にみても偏っている。偏っているということは、鋭いということでもある。鋭い針でつつかれれば、もちろん刺激は強い。刺激の強さを売りにした道中で僕は立ち止まってしまう。つい、レコードワゴンの前で小一時間過ごしてしまった。パッケージ写真の色や写りの加減・質感が最高なのである。ピンクレディーのお二人の生足が目に焼き付いて離れない。男は馬鹿正直である。ペッパー警部のレコードジャケットが非常に気に入り買いかける。蛍光色かと思わせるまぶしい程の青の背景に、若かりし頃のピンクレディー二人の生足の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。エロい!短パンがまた良い。普段、道すがら対面する現代女子高生には目もくれないのに、なぜこういう古風なエロものに弱いのだろうか。全く謎であるが、そういうセンスを自分は持って生まれてきたらしい。諦めの悪い男になりたかったが、今ではすっかり諦めを通り越して認めてしまおう男になっている。(山口百恵も可愛かった)

ペッパー警部のレコードは結局は買わなかった。買いそびれたと言っても良いかもしれない。度胸がいまひとつ足りなかったのが原因だろう。(ということにしておこう)

 

ここでようやく、タイトルにもした古書店へ話しを移したい。最近の僕は今までにないくらい本と接点をもつ暮らしをしているかもしれない。派遣で仕事をするようになってから特にそうである。移動中の空いた時間や、仕事の休憩時間など、間があるとそこで本を開く習慣がついた。活字にも随分と目が慣れた。すぐに周囲の音が聞こえなくなり、読書の空気と空間へ入ってゆくようになった。自分と本との距離が近いことはすぐに理解できた。いままで(働いていない期間は特に)自分の読みたい本の傾向を随分と図書館を使い、学ばせてもらったが古書店へ入ると未だに迷子になる。古書店は非常に偏っているといえる。図書館はもっともおおらかである。例えるなら、、確かな幅をもつ大型古本屋こそ、図書館である!!とでも言おうか。古書店は店内の広さ、狭さにかかわるような具合でもなさそうなのである。岡山には日本最大の古書店、 万歩書店がある。北長瀬駅からしばらく歩けば辿り着ける。あそこはとにかく広い。古本屋であんなに広く、そして古本独特の匂いがかげるところはない。万歩書店さんにも訪れ、しばらく中をうろちょろしてみたことがあるけど、ほとんどの本はみたこともきいたことも無く、ここは果たして地球上であるのだろうか?と不安になりさえした。そのころ、僕はつげ義春すら知らなかった。そんなのが古書店へ行くと、まずビックリするのが鍵付きのガラスケースに丁寧に保管されている一冊のなんともない本であったりする。(なんともないわけがないのだろうけど)本がまるで宝石のように扱われていることが見て取れる。意味不明である。異常事態である。僕の本に対する常識はそこで覆された。

 

そんな地球外なことに関して素人な僕もなんとなく装丁(本の外面,顔,表面のデザイン)を見るだけで値段や価値がうっすら判るようにもなってきた。何度も古い本に顔を合わせている内に、自らも知らぬ間に学んでいたようである。推測の域を出ないが、お高い本は中身の内容も大体の場合は充実していることが多いのではないだろうか。価値のある古本を開いておそるおそる読むと、とんでもなく読みやすかった記憶がある。外面の華やかで、厳かな、、人々に寵愛されながらも厳格な佇まいを崩さないあの本の中身が、これなのか!読みやすい!とただただ驚くことになる。全く知恵をひけらかそうとはしない本が現在の僕にとっての良書である。

 

昔は小難しい本にもチャレンジしたことがあった。しかし、まるで内容を理解することができずに読むのをやめてしまった。読者側も読むべき本を淘汰してゆかなければならないのかもしれない。とりあえずわかってしまったのは、高級な本の中身は大体易しいということである。または、誰にでもわかるような易しい文章で、高尚なことをおしえてくれる、、とかね。(思っきしの自論であるが)

 

またもや話しがだいぶ離れてしまっていた。僕は奉還町商店街内にある古書店へ向かった。戸口を開けると入り口では女性店員の方がダンボールの山とその中に詰まっているであろう本たちとの格闘を繰り広げていた。時折、言葉にならぬ声をあげている。声の美しい女性だったので、それも苦にならないのが良かった。その女性のお父さんが奥のほうでレジ前にして座っている。店内を巡り歩くようなことはしなかったので、よくは知らないが小さなお店だと思う。僕はマンガにもゲームにも興味が特に湧かないので、入り口の前にある本棚の前にだけ居座り、じいっとしていた。本棚には絵本・思想哲学・エッセイ・小説・実用書などがまばらに並べられていた。僕は何となく察することが出来た。ここに自分の必要としている、見たいものが全部あるわぁ、、、と。なので余計な詮索をさけることが出来た。余計な詮索をするのも大好きではあるが、マンガはまだしも、ゲームはまったくの余計なので、詮索は面倒だと感じていた。

 

古書店とは摩訶不思議な空間である。入れば出会ってしまう気がする。特に本と自分との距離が近い時期は尚更に。古書店へ訪れる人は、本を読むというより、本を集める感覚を持ち合わせている方に多い気がしている。最近僕は本をよく買うようになった。以前は図書館で借りて、読む方へ集中していた。それがいつのまにコレクターになったのやらわからないが、コレクター地味てきた。良いのか悪いのかはわからない。ただ、自分の知らないことに触れたいという思いも強くなってきた。この日僕が手にした本は、山についての本であった。山はたまに崩れる、という自然災害の話しである。数分読んで、まず文章が非常に綺麗で読みやすかった。好感が持てた。その後で山に対しての興味が出てきた。知らない世界のことを知りたいと思える自分の余裕に気付けた。ただ嬉しかった。

その嬉しさで購入したのが 「動くとき、動くもの」青木奈緒 という単行本である。値段はマケてもらって650円。いい感じである。図書館で単行本ばかり手に取っていた名残なのか、文庫が読み難くなってしまった。高くついても読みやすい単行本がいい。そういう人間もここにいる。(笑)

 

結局何がいいたかったのかわからず、、という結果になってしまったかもしれない。古書店へ入るようになって受け取った新しい感覚は、未だ自分の知らぬ感覚、誇大表現するなら"地球外の感覚"に気付けるようになったことである。自分の視野のなかでしか生きられないと思っていたものが、そうでもないことをなんとなく表現しているのが古書店ではないだろうか。自分の興味あるモノが結局のところ全く知らない世界へ通じていることとか、興味深く捉えることが出来る。

 

魅力的な文章を書く人が、これまた自分の魅力的なモノに興味を持つとは限らない。自分の全く知らない世界へ導いてくれることがある。キッカケになるようなことって、大抵は気付けないほど見え難い場所だけど、とっても近くにあったりするのだろう。

 

そういうことをこの日感じた。