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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

日々の生き方

どう生きていけば良いかをふと考えていることが多い昨今…。

このような問題の解決方法は人それぞれだと思います。

 

僕はどうしたら毎日が楽しくなるか、とまずいつも考えるのです。

そこには"印象"というものがキーワードになっているような気がしました。

 

その日一日で自分が感じた強い印象は、他の人からみたら実に素っ気ないことかもしれません。

けれど、それがとても大事な気がしています。いや、大事にしたいと言った方が正しいのかもしれません。

 

ちなみに今日の僕の一日の印象は、外れかけて傾いたキッチン扉とネジ留めの十字の穴が潰れてしまったネジでした。今日はもっと楽しい時間、ギターを練習したり、友人と少し話したり、そういう出来事もあった筈なのですが、結局はそのどれもがことごとく外れていき、他者からみたらなんでもないような、とてつもないところへと辿り着くのです。

 

これが結局のところ何を指し示すのかはわからないです。ですが、強烈な印象を帯びて思い出される一日という人によってまちまちの時間体験のなかに残される刹那、または一瞬はその日一日のタイトルとなりえるでしょう。

 

"人間"の不思議というよりは、"個人"の不思議に迫ろうと僕は促されます。全体を知ってから個人を知るのか、個人を知ってから全体を知るのか、、その順序はどの方向からどう促されて、結果としての知恵がついていくのかはよくわからないですが、どちらにしても個人も全体ともしらなければ、自分の知りえない新しい知恵はうまれないだろうと感じてます。

 

たとえば、ユニバーサルスタジオジャパンへ一日遊びにいくとして、その日の印象がユニバーサルスタジオジャパン楽しかった!(またはユニバーサルスタジオジャパンに関することだった)ということは少ないと思っています。それよりも、もっと具体的で身近な印象がこびりつくのではないかとおもっているのです。もしも、そういった印象が個人を形成しているとするならば、おそらくその記録からは個人の興味と繋がりを深く持っているに違いないと妄想してみます。"興味"とは"楽しそう"(面白そう)という予想や実体験から結びつけられる感情だとするならば、個人の楽しいという感覚は根元の部分では印象につながるのではないでしょうか。

 

個人の楽しみという狭窄的な分野が、ソフトクリームが溶けて徐々に全体へ拡がるように世間に浸透してゆくことがあるならば、それはあたらしい概念や価値観を引っ張り出すキッカケにもなると思います。

 

なんというか、芸術家として活動されている方の作品を見た時によく感覚出来るようなことをつらつらと書いてみました。