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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

好きになること、嫌われること

最近というか、いつも通りというか、果たして自分は自分が大事なのだろうか?という問題について考えてしまうことがある。決してわざとなどではなく、自然と考えてしまっている。個人的に大好きで憧れているあの人(別にあったことも話してみたこともないような文豪や芸術家であってもかまわない)に自分を否定されてしまったとしたら・・・と考えてみる。

結論は簡単ではない。なぜならば、そんなことがあってはならないと思うからだろう。何しろ相手は自分が憧れていて、愛している人なのだから、そんな人が自分を否定し、裏切るようなことがある筈がないわけだ、と考える。僕ならそう考える。自分の都合のいいように考えてしまう。

しかし、現実とは酷なものである。実際には自分が嫌われ、否定される可能性だって多いにある。自分も出来た人間ではない。まずい部分も持っているし、嫌われる要素をあげようものなら、数え上げる方が難しいかもしれない。例えば、相手のことを何らかのメディアの情報から、解ったつもりになってしまうというような一方的な見方をして、はしゃいでいたのは自分の方だ。いつだって嫌われて批判されてしまうかもしれないことを考えなくちゃならないのかもしれない。

 

こんな感じでうだうだと考えているだけならまだしも、実際に否定された自分をないがしろにして、それでも相手は素晴らしい人だから、、と相手を全面的に肯定し、自分を責め続けて、どうしようか、ああしようか、と自分を変えたくなることがある。このような事態については個人的ではあるが正直にいえば、不愉快である。自分以外の他人を素晴らしいと感じることが出来て、好きになることが出来るのも、自分の存在があってこそ。自分の存在が無ければ、憧れや好意を抱くことはできず、なんの感情だってそこには芽生えないだろう。

 

一番愉快なのは、自分が好意を抱いた相手と何ともない身の上話や世間話を交わしつつ親密になることだろう。まあ、そうなればいいのだろうけど、そうならなかった場合、それは不愉快であり、後悔に繋がることは多い。この時に"どうしようか、、"とあらゆる選択肢が漠然と頭にぽんぽんと出てくる。その選択の判断を誤るのが僕は一番に怖い。

自分が〜だから、ダメだったのだ、、とか、、◯◯だったから嫌われた、、とか、そういう類いの自責の念みたいなものはあまり考えたくない。自分は必死で仲良くなろうと努めたではないか!おれは悪くない!となるのが僕の本望なのである。その態度があまり相手に伝わらなかったのなら、まあそれはそれで仕方ない。伝わって居ながらにして、否定されたのであれば、尚仕方ない。それでも出方を改めるのか、やっぱり諦めるのか次の選択はそれくらいしか残されていない。ただ、僕は僕が大事だし、相手が大事な訳ではない。相手が僕をそのとき嫌ったとして、悪く思おうが、僕は僕がやはり大事であり、相手の気分に惑わされるような必要だってない。

 

好きな人に嫌われた、憧れを裏切られた、、別にいいじゃないか。(良くはないけど、悪くもないのだ。誰にだって起こりうるようなことなんだ。)

自分が誰かに憧れを抱けた、好意を抱けた、そのことの方がよほど感動的なシーンだと思う。

 

自分を大事にした方が良い。これは早急にそうした方が良い。

僕には好かれたい人が無数にいる。・・・というよりは、僕が一方的に相手を好きなので(嫌がられない内であれば)何とはなしに気楽に会って、話しができるくらいで十分に満足なんじゃないかと妄想している。

 

嫌がられたら?・・・まあ、、度胸もないし、僕は諦めるだろうなぁ。