僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

で偶い(deai)

突然ではあるが、”であい”とは大抵の場合、偶然会うことを指してあるとおもう。

それは決して僕が特殊であったり、変わり者であったりするところからくるものではないはずである。

 

僕は最近、前の意味でいうところの"であい"なるものを経験している。これまた突然ではあるが、現在僕が登録させていただいている派遣会社には、いろんなタイプの人間が集まるといい、その大抵が"変な"といい表すことの出来るような種類の集まりであることを示しておきたい。前言撤回、実は僕もその"変"の集まりの一人であろう。

 

派遣会社の名前は言えない。それはなんだかプライベートな気がして恥ずかしい。いつも僕は自分の好きな物を紹介することについてむやみやたらと抵抗する人である。言ってもどうせ伝わらん、、というような、意味の分からん恥辱にも似た小さなプライドを抱えている。そんな不安症な僕を見つけ出した奇才のKさんも、この派遣会社をツテにしてであった一人のお兄さん(おじさん)である。数回の邂逅から、Kさんは僕の正体をズバリと言い当てていた。

「底抜けな闇を抱えてるな」などと出会う度に、にっこり笑顔で伝えてくる。僕はKさんをいつも思い出すたびに、お笑いのさんまさんを連想してしまう。そう、彼は岡山のさんまさんである。少しでも縁があれば、だれにでもすぐに話しかけて、打ち解けてしまう。たとえ食堂の席で隣にすわった見知らぬ人とでも、ただ隣にいたというだけの縁を感じて話しかけるタイプである。というか、今日その現場を見た。(気がする。)

阿呆かと思える程の落ち着きの無さである。そういう人がいるから、世界は狭く、人間は面白いと感じることもあるのだろう。景気の良いことである。

 

最近はKさん以外にも話し相手が出来た。Mさんである。「Mさんである。」と言ったとしても、これを読んでいる方には全く通じないであろうが、、つまりは話しをしていて面白いと思うウマの合いそうな人なのである。Mさんは歳上ではあるが、僕とはあまり年も離れていない、男性の方である。住んでいる場所も聞けば近所、同じ小学校、中学校出身ときた。ウマが合う筈である。と、言えど、学校時代の話し等全くしようとも思わないのであるが。

 

Kさんから聞いた話しであるが、Mさんは相当に勉学ができたらしい。岡山市内では五校と呼ばれる進学校の中の二つ目くらいに受験難易度の高い高校へ行き、その中でも成績優秀であったらしい。しかしながら、その学校の教育では勉強ができる生徒は優秀である、出来ない生徒は劣等である、とした方針をあからさまにしていたために、争いごとの大嫌いなMさんは高校を辞めようとしていたみたいである。これを聞いて、僕はMさんに初めてに近い好意を抱いた。

 

それにしてもMさんはこれまた不思議な人である。本当に不思議である。わけわからんのである。Mさんの不思議列伝はこの一点において集中している気もする。

 

Mさんはいつも手ぶらで仕事にくる。

 

ケータイ、財布、カバン、リュック、手袋、マフラー、目薬、メガネ、リップクリーム、ハンドクリーム、歯ブラシ、本、、、考えうる限りのもの、どんなものを挙げ連ねたとして、そのどれ一つとして所持していない。笑った。大いに笑った。大爆笑である。

その傍では、僕は手提げをもち、カバンをもち、数冊の本まで抱えている。Mさんはどう思ったろうか。この人は東京へ旅行にでもいくのであろう、、と思うのだろうか?僕はといえば、Mさんを異邦人か宇宙人か、詩人か、、いわゆる変な人だとすぐに勘づいたのであるが。

 

手ぶらのMさんが街中を歩いているジャケットには、「風の又三郎」とでも銘打つのが正しい選択であろう。なにしろ、それで大阪へ遊びに行くこともあるというのだから、驚きどころではない。変であろう。

 

そんなMさんと今日は帰りのバスの中で小一時間しゃべっていた。Mさんとはいつも身の上話ばかりしている。僕たちのマイブームである。僕は僕で、Mさんがどのような人なのかきくことは、本でも読むかのように、未だ知らぬ秘密のページをめくっているようなワクワク感で満たされていた。何しろ相手は風の又三郎である。手ぶらで歩くと人だって風になることだってあるだろう。

 

今日の話しの内容を思い出してみる。Mさんはやはりおもしろい。最近は要介護のおばあちゃんの世話をするために、祖母宅に訪れる度、亡くなったおじいちゃんの遺品の骨董に目を付けていたらしい。数点見つかった骨董をメモしては、すぐにネットで値段の相場をしらべ、今週にも売りにいくようだ。去年は70cmくらいの高さのあるブロンズ像がでてきたらしく、それを売りに行ったらば、なんと10万円!!もしたらしいのである。Mさんは一ヶ月仕事もせず、10万円でのんびりと遊んですごしたらしい。それはそれはたのしかったと、ほんとうに幸せそうなものだから、何の関係も持たない僕もつられて幸せになってしまった。後に解ったらしいのだが、そのブロンズ像の正体は、織田信長だったようだ。なぜ、織田信長のブロンズ像・・・と思うよりも先に、他人の宝を売っ払ったのである。おじいちゃんに恨まれるのでは・・?と思ってしまう僕はやはり不安症なのかもしれない。Mさんは穏やかな人なのに、まったくそんなこと気にしない。亡くなった人のものなんて持ってても仕方ないと思うような、どちらかというとアッサリ系、薄情な人であると、今までの会話の節々から推測出来る。反対に僕はといえば、たまに"お小遣い"とおばあちゃんから頂くポチ袋の袋まで大体全部とってある。なんか捨てられんのである。モノに魂あり、である。だから、僕なら先のブロンズ像はやっぱり売れない・・・。(売るとしても質に預ける形であるだろうか、、)大して肝のすわってない男であるが故、といえば事実ではあるのだが。。

 

風の又三郎、Mさんはそんなみみっちいことはしない。大体において派手である。何も持たないとはこうも派手なのか、、と大笑いしてしまう。派手を派手で見せるより、大層派手である。

 

いつかは、、と思う。岡山のさんまさん、Kさんにしろ、風の又三郎、Mさんにしろ、僕がいつか真似してみたいとおもってしまう魅力を各々が備えている。

 

しかし、魅力的な人というのは実に変わり者である。

本人を前にしては口が裂けても言えないが、それぞれ阿呆寸前のところで生きている。