僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

手紙について

早稲田古本屋日録 向井透史著 を読んでいて、なぜかふと手紙のことを思い出した。

小説でも雑誌でもエッセイでも本を読んでいて、突如として全く関係のないことをポッと思い出すことはよくある。今日はたまたまそれが手紙について、、ということだっただけにすぎない。しかし、この時に読んでいた本についてはいささか重要なので、題名と著者名を挙げさせて頂いている。みなさんにもぜひ読んで欲しいと思っている次第ではあるが、、今回は本の説明をするための文章ではなく、題名にもある通り、手紙についての文章である。

 

みなさんは手紙を書いたり、郵便ポストにだしてみたり、あるいは手渡してみたりしたことが過去にあるだろうか。僕はそんなに数は多くはないけれど、ある。僕が高校生のときインターネットを始めた頃、インターネット内でおしゃべりするチャットをよくやっていた。初めてのキーボード操作で覚束ない手つきと指先で文字を入力し、やっとのことで相手に話しかけることが出来る、、、。面と向かってでは言えないようなことも、気軽に言えてしまう感覚からチャットにはまり込んでいた。そうこうしているうちに、しばらく一緒にチャットしていた人と仲良くなる。しかし、会ってみようなどというのはお互いに住んでいる場所も遠く面倒なのか、怖いのか気が引ける。そこで文通してみようかということになる。

僕はそこではじめて手紙を書いたことになる。いまでもその初めての体験を思い出すことが出来る。手紙が家にやってきたのもその時が初めてだった。

ひどく緊張したのを覚えている。触ってみると、封筒の中にふんわりとした厚みが感じられる。この中には何が描かれているのだろうか?しかも自分宛てであるわけだし、私のことを考えて書かれたこととは一体なんなのだろうか?まるで人前で自己紹介した後にみんなの私についての印象をこれから聞こうという感覚に似ている。

いまでも手紙に対しての印象はそれとそう変わりはない。

私が思い描く手紙とはそういったものである。何か私とは別ものの結果発表、、というよりは、私宛の発表であり、それは特別であることなのだ。

 

私から送った手紙もあれば、相手から送られてきた手紙もある。私が送ったままの手紙もあれば、あちらから送られたままの手紙もある。

 

私としてはできるかぎり手紙を送り返すようにしている。こうみえても、私は人を喜ばせるのが好きなのだ。私は出来る限り相手のことを考えて手紙を書いているつもりである。そういうことも実は好きなのである。とにかく喜ばせるために書いている。それが伝わったかどうかはともかくとして。

 

伝わらなければ仕方が無い。ご縁がなかったとしかいいようがない。とにかく全力をあげて手紙をかく。相手を喜ばせたいがための。

 

最近、また手紙をかこうかと思ったことがあった。結局はまだかけてない、もしくはかかないままかもしれないのだけれど、そういうことがあった。

古書店への手紙、、というかファンレターのようなものである。

色々考えてしまって、書くための勢いみたいなものがすり減ってしまったのかもしれない。徐々に忘れていってしまった。伝えたいこと、またその想いの熱量、などなど。

こういうことも多々ある。これが失敗なのか成功なのかわからないのだけども、ある。

 

手紙を書くことは吉報を伝えることである。それでしかない。はじめて手紙を書いた時に完成した封筒を触るとよくわかる。このやさしいふくらみの中に邪悪な要素をいれてはならない。

 

最近は使用済み切手をネットで買ったりしている。色んな国の、人や動物、歴史が描かれた切手。大体自分で持ってても仕方ないから、すこしづつ分けようかと思っている。自分が持っておきたいものは、あげられないけど、みせてあげることはできる。

それ以外は配れば良い。こういう良いものあるよ、、と教えてあげることが出来れば、それはもう手紙を書くには十分な理由にもなるだろうし。