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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

坂口恭平

何故だか、何なのか。

 

彼は何度も夢に出てくるし、きまって夢に出てきた時は新刊が出る。笑

 

 

僕には彼の音楽がとても耳に落ちる。とにかくスッと聴ける。肩の力が抜ける。

 

J−POP聴くにしても、なにか大きなテーマをボコッと伝えたい!みたいなものは肩の力を聴く時に自然と入っていることに気付く。

 

なんだかアニメソングなど、すこしアップテンポで尖ったハイアップ的なものをきいてた自分からすると意外である。

 

最近はまったくアニメソングは聴かない。

 

たまにNHKにようこそ、などのOPアニメーションやアニメ全体の雰囲気を味わう為にOP曲を聴いたりはするが、そういう用途であり、曲自体が好きだというわけではとくにない。音楽にはそういった印象を回帰させるような効果があるように、ずっと前から感じている。

音楽自体を好きになるというよりは、音につらなる何らかの断片的な記憶、つまり想い出を連れてる音がすきだから、音楽を聴くような。

 

まったく初めて聴いた音楽が絵が映像が風景がにおいが、そのいろいろを連れてるとビビる。それが感動だったりする。

 

 

そんなことが生きていると起こる。いつだかはわからないが、それは事実として起こる。

 

 

彼の音楽もその一つらしく、何かを連れている。

 

白夜という曲があるが、それがかなり僕にとっては引っかかるらしく、無意識に寂しがっているときなどにきくと、顔が涙であふれてしまう。

 

 

白夜という曲を、描きたいと思っている。

音を描く、ということなのだけど、人間は無意識に楽しいものをやってるときは、音を意識しているのではないかと思う。

 

音が連なれば、リズムになる。

音に色がつけば、音色になる。

 

 

 

たまに理解出来ないものに感動したりする。

最近、買った100枚入の使い捨て切手などを一枚一枚みてたら、すごいいいデザインの切手に出会う。でも、何が良いのか根本的な理解が追いつかない。理屈で判断するとなんとなく説明がつくことがある。でも音にはなってない。音になれば自分でも表現できそうなものなのだけど、音にならない時は大体自分はまだその良さに追いついていない、理解が及んでいないことをさしているのだな、、と思うようになった。

理解不能なので、音に表すことができなかったりする、ということであるのだろう。

 

音になることを見つけていけば、とんでもなく人生は好転するのかもしれない。

もしくは、少しずつ音で感じることが出来るようになれば。

 

そんなことを感じてみたりしてみました。