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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

生活の基盤とはなんなのか、本当に衣食住だけなのか?まったくあやしくなってきたとおもう。僕はコミュニケーションも生活の基盤の一つとしてとりあげられるとおもっている。

事故で体や脳みその一部が破損し、そこを機械、ロボットで手術した女の子が主人公の漫画を描く。この子は非常に現代での生き辛さを抱えることとなる。生前の記憶はあるが、以前までとのコミュニケーション方法、表現力などのスペックがまるで入れ替わる。それによって生き辛さが如実にでてくる。

僕は言葉というものの表現方法には大きく捉えて二つの種類側面があるとおもっている。一つは常日頃、僕らが交わし使っている相手に物事や感情などを解りや すくつたえようとする表現方法である。もう一つは、詩である。自分が感じたものの正体を探り当てるような言葉の使い方表現方法である。

後者の表現方法が自分の基準となりうるような生態だとするならば、これは、もしかすると日常が非常に生き辛い世界になるのではないだろうか?とおもう。ギャグとかそういった意味ではなくて、真剣にこれをやりつつ、テーマに迫ってみたいのかもしれない。

希望を伝えたい、となった時に"本当に希望ってあるんだよ!"的な物語にしていいのかためらった。本当は、こういうことがあったなら、もっと悲惨な終りをつげなければならないのではないか、それを伝えるのが一つの希望なのではないか、、と思った。

確かに悲惨な方向で物語を描くのはある意味では楽なのだ。その方がすんなりいくし。。悲惨なことがおこって、悲惨な結末になるのは当たり前だから。その当たり前を漫画で覆すのが正しいのかいまいち自信がもてない。

悲劇を悲劇で表現することを一度やってみたい。まだ悲劇になるかどうかはよくわからないけど。

 

おそらくこのアイデアを漫画にするとき、キャラクターはどんなのになるのか?というのがキモなのだけど、僕はこのキャラクターの性質というのは、高機能発達障害者のことを描く必要があるような気がしている。この障害をもつものは、たとえばある種、一般的な人たち、健常からみて、システマティックすぎる人間という側面を持つと思う。

こうすれば、ああなる、というような決まった反応が如実にみられる、またはその度合いが強い人間であるということが挙げられる。そこがある意味でとても捉えられやすい部分でありつつ、生き物としての機能を硬直化させている部分として捉えるのならば、それはどこかロボット的であるという判断を下すことが出来る。

僕自身、何を誰にどうやって話しをしていいのかわからない時間が長い。だから一人でだまって過ごしていることが多い。時間的にいえば、一日の9割はそういった時間になる。9割。多いでしょう?多いと思いませんか?

 

僕はそのような生活に慣れてしまっているが、もう死期がちかいのではないかと今日は風呂に浸かりながら考えてしまった。それでこのアイデアが出た。話さない、という選択ならばまだいい。コミュニケーションのとりかたが危うい、わからない、、、いや、コミュニケーションがとれない、、という状況にまで達すれば、どういう風に人間は考えるだろうか、、と思ってしまった。

人間には仕事が必要である。仕事という体と脳みそを働かせる部分があるから、人間は人間らしくいられる。生活の基盤は整う。そう思っている。今現在、その仕事の在り方が極端すぎる方向へ一瞬、いや、今も傾きつつ在るので、仕事に行きたくない、やりたくない、という人が多いと思う。けれども、仕事をしていない人間にとってみても、仕事で得られる運動は人間には必要であるのだろうと思う。実際に僕は仕事をしていないながらも、創作は毎日のように続けている。動かないせいか、右膝の腱が鞘炎してしまい、痛い。歩かなきゃならないと思う。

 

とにかく昔から現在まで仕事という分野において、懸念する人々はいても、そのスタイルは変わらず社会に存在していることは事実である。その体制がなくならないということは、必然的に人間は仕事を求めているということでもある。それがキツい、楽だ、などにかかわらず、どっちにしろ、、ということである。

 

そうすることで、コミュニケーションを交わしているし、普段の生活の中で、人が生きる街の中で、自分のリズムを刻んで生きることが出来ているはずである。

コミュニケーションがないなあ、たりないなあ、、と思った時に、死ぬかもしれない、と想定した僕の感覚は偶然ではないと思う。

そこにはやっぱり必然的な何かを感じた。それは僕が一人で山にこもって生きているわけではないからかもしれない。僕は街で人々に囲まれながら生きているし、その街にいるというそれだけの理由で、やはりコミュニケーションが必要になるのではないかと考えられる。それが僕の今回のアイデアと直感とが出てきた糸口と深く結びついている気がするのだ。

 

とにかくこのアイデアをちゃんと漫画に仕上げてみようと思う。また短編になりそうだけど、その短編を紡ぐリズムも自分ならではの性質の話しなのではないかと、今日は考えてみたりした。

話し相手がほしい時間があった一日だった。

 

イデアがでると、誰かにそのアイデアを僕は話したくなる。

そういう性質が在る。というか、自分が本当に楽しくなっちゃうから、自然と話したくなるんだろうなあ、、と思った。素晴らしいことだと思う。