読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

なぐりがき

とにかくわかったことは、半径5メートルでいきていけばいいのだ。通信技術が発達したからといって、遠くへいったり近くなったりしない。ただの半径5メートルにしか気が配れない人で居ること。精神的健康法。最近わかってきた。

 恨まない、怒らない、遠くで怒っていることについて、プラスの感情を抱くことはべつにいい。マイナスな感情を抱き、ストレスにしない。

すぐ近くに自分を持つ、そして保っている。すると創ることや、自然でいることに気が向く。インターネットの使い方から、情報網への入り方、探索方法などは、もうすでに生活の一部として機能している。そこでの対処法がわからなくなると、遠隔操作され、自身の体はのっとられ、生活破綻する。

 情報を取り込み過ぎない。自分との距離感を測り間違えない。ネットによって遠くへ行き過ぎない。つねに周囲だけであり、周囲だけにしか自分を発揮できないのだということを知ること。僕はそれで良いと思っている。遠くのことに目を向けて情報を取り込み、社会の情勢をしりたいのであれば、新聞は読まず、テレビは観ず、現地へ行けば良いのではないか。そして街を歩く。するとその街でのドラマを半径5メートルで感じとれる筈である。

新聞は、現実逃避麻薬だとおもってます。

 

現実をフッとなくさせる力が新聞にはあります。それはそれで、その力に与っている人たちもいるので、良いと思います。

 つまり活字と、その活字に繰り広げられる事実というドラマには現在を完全に抹消させるような効果がある。それは読書体験、ゲーム体験と同じものである。現 実空間がぶっとぶのである。どのようなメディアもそのような効果を持っている。その脳内麻薬の一つが新聞という毎日受け取られる媒体である。つまり、よまんでもいい。

知りたいのなら、歩くこと、出向くこと。。だと思います。

 

と、ひきこもりがいう。そんな2015年。完全にキチガイですね・・。

 人間は現実忘却と半径5メートルの交互を繰り返しながら生きている、と思う。ただ、そのバランスや、在り方がインターネット、遠隔情報操作の時代になって から、崩れ始めた。便利になった反面生活の基準が崩れる。携帯の使い方もいまだよくわかっていない現在。進化の度、解らんことは増える。自分の中では、進化と退化は同じ意味合いとして存在している。進化と言える一方で、それは退化なのだと思うことが多い。そして、進まない方が新しいのだという感覚すらおぼえることだってある。これほどまでにトレンドがもてはやされ、変化が如実な社会において、人間の脳みそというのは、もしかしたら、変化を生みつづけること、つまり創造しつづけることによって、生きているといえる。精神障害だろうが、健常だろうが、創造し、変化を常に求めているのではないか。毎日新聞という媒体やら、マスメディアみたいなもんが動き回っている忙しない情報の流動性、変化が僕には信じられない。今日、昼間の二時まで蒲団にこもっ ていた僕からすると、たまげるような運動の連続であろう。まあ、人間ってものは元気だなぁ、、、と感心するばかりである。

最大の現実逃避とは何か。あたりまえのことだが、それは生きながらも生きることをやめている、ひきこもりである。彼らは常に自己否定もできず、かといって、自己肯定もできない存在である。出口はなく、入り口すらもない。ひきこもりとは精神性をいい、実態を表面化したものではないことは注意したい。

 

人としゃべらず、歩かず、同じ空間をいったりきたりし、最終的には創造性すら奪われる。社会性なんてものは剥奪されたってかまやしないものである。しかし創造性をうばわれたとき、その人の生は終る。生は終り、いきているのか死んでいるのか解らない状態にまで陥ってしまう。ひきこもりはしんどい。

 
何もかもが億劫になってしまう精神性がひきこもり患者の僕にはあるみたいである。もう面倒なのである。全てが面倒に思えてくる。今日はやっとのことでコンビニにコピーが行けた。行かなければならないことであったのだが、現在、僕にとってそれは大冒険である。
恐怖に打ち勝つまでの間、それは家の玄関をくぐるかくぐらないかの話しであるのだ。くぐりぬければ、ひやっとすこし冷たい空気の中で、お日様ぽかぽか温かい日差しを肌に受ける。それが心をわずかながらもはずませてくれる。
全身亀頭と、坂口さんが言っていたが、それはまさしく僕もそうである。全く知らん人が横でロッピーなんかを扱っているのを横目でみながら、この人はなんか おじいちゃんぽいなとおもったら、20代の若者であった。立ち方や背中の曲がり具合、骨格からしておじいちゃんぽかった。
全身亀頭状態である。常に。少しのことに感じ入ってしまい、ものすごくストレスも受けやすい。髪はのびっぱなしになり、散髪にも出向けない。デイケア(精神病院)にも行けない。そんなもんが社会に入ればまちがいなく社会性を剥奪される。僕はもう、生きていけない、となる。

全身亀頭状態から抜け出せない。抜け出す方法が無い。それが現在である。 一時的、、ではダメなのだ。 そんなもんでは阻止できない。またその感覚性はやってくるし、なんどもなんども敏感になるので、鈍らせることが不可能である。

 全身亀頭ではなく、一本の木のように生きたい人生でした。たまに枯れ、また咲き、脱皮をくりかえし、傷を治癒しながら、ブコツでいびつな形をとりながらも、生き延びてゆく。本来の人間の姿。木。 樹木のように生きる。