僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

巨人(短編小説)

"バチンッ!!!・・・・・・・・・・・"


まるで精神統一する為に寺の縁側で瞑想をしている修行僧のような感じである。

僕は今家の中に居る。リビングに居る。そして丸い食卓の、ある隅で椅子にもたれて坐っている。


"Battchiiッ・・・・・・・NN!!!!・・・・・・・・・"

 


音を表現するのは難しい。毎度のことだ。

この際、音の機微を、音色を表現することについてはどうでも良いのだ。

問題は音の大きさである。耐えようのない大きさで、家中に響き渡る戸の開け閉めの音が、僕にとってはたまらなく苦痛であるのだ。
それを知ってか知らずか、僕と同居している両親や兄妹は力一杯に戸を閉める。

その度に僕は一種の目覚めを体験しなければならなかった。

僕の意識は常にどこかへ飛んでいる。焦点は大体常に一点をみつめており、神経は集中している事が多い。
そのような状態は視覚的な関心を随分ともった状態であるといえる。

視覚的な感覚は僕にとって好ましいものであるようであった。

例えば、手に持ったとき、目で見た時、心地のよい形というのが明確に在った。
つまり、それは僕にとってのこだわりといえよう。

視覚的に心地の良いもの、それは文字でも画像でも例えばインターネットのHPサイトのデザインでも、使い心地などでも、僕のこだわりに関わってくることである。

突然だが、僕は雑貨屋が好きだ。綺麗な青色の淵がまあるいガラスのコップ、廃工場となり廃棄されたのであろう職人たちの仕事道具、カンナや杭や錆びた鉄製のメーターなど、、それにスプーン、ボタン、器、さまざまな種類のそれら。

見れば見るほど、宝物にしか思えない数々。宝物で敷き詰められた狭い店内を歩く僕はまるで巨人のようである。歩く巨人は、ふと油断して宝物に触れてしまわぬようにそうっと歩く。理性のある巨人。巨人らしからぬ巨人。

このようなおとぎの国へ入り込んでしまうような視覚的精神状態の中では、音はまるで存在しない。
音が入り込むことによって、神経は急に逆撫でされた毛のように反り立ち、血管は膨れ、目は見開かれ、口は大きく空いてしまう。

その瞬間には全てはもう遅い。

僕にとって宝物に見えていたものは、一瞬にして邪魔物へ移ろい、僕はそれを破壊しなければならなくなってしまう。

永久だと思われていた静寂は酒を飲むと急に変わる暴力のように、何か一つのキッカケがそれを変えてしまうように。


音が僕に介入した途端、、、、、


僕は仕方なしにたくさんの目の前にあらわれていた宝物を一瞬にして祓うことにした。

僕は一つのことにしか集中出来ない。二つの願いを同時にかなえることはできない。
むしろ、言ってしまえば、二つの願いのうち、一つの願い事だけが得意科目であるようだ。

だから僕はその一つの願い事だけに集中したいと思っている。

けどそれは、おそらくこの世の中が、そして意外にも僕自身が許してくれそうには無いようだ。



僕は思った。
「音が見えたら良いのにな」(世界共通言語的な意味合いで)


音はとても不確実で、どんな風にも捉えることが出来た。
アメリカで鳴く鶏と、日本で鳴く鶏、それぞれの国が公式として掲げている鳴き声が違うのは偶然か否か?

偶然なわけはない。

音は不確実だった。僕にとって音と視覚は離れすぎた存在。崖と内陸、背と腹。
音はいつも僕を脅かすのであった。視覚側に近い僕の存在を。


現実では、穏和であるはずの巨人は忙しく怒っている。