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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

自分に負けた作品と、求め続けて走り続けた作品 2015.5/6

http://www.miomio.tv/watch/cc68456/

 

忌野清志郎ゴッホを見に行く

 

を観た。3回程。繰り返して。

ロックスター、というかロックの穴を掘り続けた炭坑夫、忌野清志郎さんは20代〜40代の間曲作りの迷走があったとこの動画で話していて、その時期がゴッホの創作と人生とがシンクロしたのだと思う。ゴッホに憧れていたという。

 

動画の中で忌野さんはゴッホの実物の作品に出会いに岩手県まで足を運ぶ。そこではゴッホの憧れであったミレーの作品も同時に展示されているようだ。

 

忌野さんは展示を見終えたあとで言う。ミレーとゴッホだったら、ロックなのはミレーだと思う。自分の絵を追求したのはミレーだったと。ゴッホはその時の感情に振り回されて情動的に筆をとっている。その証拠に絵に考えがあるのかないのかわからない、ただ勢いだけは伝わってくる、と忌野さんは言った。そういう意味でゴッホは自分に負けたんじゃないか、、、と。37歳で死んでいるし、もっと生きてたら、凄い絵をかいたかもしれないね。とも。。。

 

自分に負ける、ということを考えてみる。自分に負けてない絵とは、、、。絵に敬意を払って、絵に対して真摯に向き合って、没頭して、追求して、書き続けること。

後に、忌野さんはゴッホのひまわりの原画を見る。

そこでは、これはゴッホだね。と一言。絵を飛び越えたと絶賛。そこで何故か僕は泣きそうになる。

 

なんというか、ゴッホと自分の姿を重ねたような、ちがうような、、よくわからないけど、絵に対しての忌野さんの視点にすごく愛を感じたのだろう。

 

ひまわりについては、ゴッホは親友であり同志であるゴーギャンのために描いた絵であることが、映画「炎のゴッホ」の中で語られている。

忌野さんの絵が絵を飛び越えるっていう表現は的確だな、と僕は思う。おそらくゴッホゴーギャンの為に一生懸命、ゴーギャンに向けて絵を描いたのだろうと思う。ただひまわりをかいたのではなくて。絵にゴーギャンへのさまざまな想いが乗っかったのだろう。その力が絵に当然のように宿っていて、絵が絵を越えるようなどこかへ飛翔しそうなエネルギーを持つようになるのだと思う。おそらくゴッホはひまわりを描いている間、まったくの迷いも無かったと思う。ゴーギャンのことだけを考えていたと思う。そして絵に対してはゼロ距離で真摯であったとおもうし、自らの集中力も日常ではいちばん研ぎすまされていたのだろうことも予測がつく。

 

では自分に負けた絵とは。。

おそらく精神障害を被った時と、絵を描き始めた頃の修行時代、絵にたいして大いに迷いがあった時期の絵のことを指しているのではないか。絵に対して何をどのようにしたら自分が納得のいく着地ができるのであろうかわからない時期。そういった気持ち悪さの中でもがき続けていたときの絵には、さみだれた集中力がキャンバスに乗っかる。不完全な筆さばきが自らの精神性をもって伝わってしまっているのかもしれない。

僕はそれについて、どう思っているのだろうか。

僕はそれを通らなければならない道だと思っているし、そこで諦めることも作品とよべる形で立派だとおもう。ただ人にパワーを与えるかどうかといえば、どうなんだろう。不安定なグラグラしたものに関して言ったとしても、生きた勢いはやはりゴッホゴッホであり、その勢いは若い未完成な世代を震えさせるだろう。完成しない振動を与え続ける情熱と興奮はまるでアウトサイダーアートに似ていると思う。

 

何故か僕は、その未完成な自分に負けた絵、というものに共感せざるをえない。

そこに居心地の良さ、みたいなものを感じているし、そこに優秀さよりも、大事な過程が描かれていると思っている。忌野さんと僕とでは意見が異なる。

きっちり完成させることが作品においての総てではないとおもっていて、即興に乗る興奮チックな情熱に未だに僕は憧れている。静かに燃えたぎる持続の情熱とは裏腹に。

僕の中にも静かに燃えたぎる持続の情熱があるとはおもっているが、とても弱火である気がしている。たしかにそれは"かっこいい!すごい!すばらしい!"のだけど、今の僕にはなかなかそれを直視することがむずかしい。そういった意味では、僕は僕の弱さを痛感したように思う。

僕は傍からみられた時、絵に対して、もしかしたら真摯的な態度ではないのかもしれない。

自分の情熱、ぶつけたい衝動だけはたくさんあり、それでもって直感的に絵をかくのだけど、どうもそれが持続する情熱のような熱を持っているように思えない。まだ居所の悪さを感じているし、模索の中、、と言った感じがある。

 

一言、忌野さんに見抜かれた感じがあった。

 

ドキッとしたというか、この動画をみた後、僕はどうしてこのような人生でこのような人間なのだろうか、、と考えさせられた。すくない忌野さんの言葉の中に、ロックとはなんなのか、を教えられたし、それが絵の中でどう位置づけられているのかまで、わかった。

 

忌野さんというすばらしい感性がはなつ言葉だから間違いがない、、というわけではないのだけど、妙に真理に近い気がした。

 

経験が違いすぎて、言葉の一つ一つが宝物のように降ってくる。

 

ほんとうにゴッホは自分にまけたのだろう。。。か。

 

もし生涯ゴッホが一緒にいられる、わかりあえる相手がいたなら、、。

その人の為に絵を描いたなら、、。

 

どうなっていたんだろう。

 

どうしても、どうしても、どうあっても、孤独だったんだ。どこへいっても一人でいてしまう、というのは人が生きられる環境じゃないとおもうから。

 

僕はゴッホの絵が、人生が、未完成の若い人へ生きることを諦めきれない気持ちを寄り添うようにして存在していると思うのだ。

 

必ずその道程にはなにかしらの形があるし、実際に残る、自分に負けることが残念というわけではないと思うのだ。

 

駄作も大事に観て欲しい。

泣きそうになりながら、そう思うのだった。