僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

2015.5/3

起床朝9時。朝ご飯に納豆ご飯食べる。日光を浴びるぞ!と意気込んだが、雨が降ってきた。外へは出られないような気がする。石原直樹展へ絵を観に行きたかったのだけど。自分が好きそうな色を使った興味ある形の抽象を描かれていたので、ぜひ明日には伺いたいところです。

今日は絵を数枚かき、一ページマンガを3つほど描く。自分のTwitterのマンガ垢で自分のマンガを読みふける。めちゃくちゃ面白かった。自分を自分ですごく過小評価してしまう時があって、そういう時にはかならず自分の過去に作った作品を見る。すると、そこまで評価を低く見積もる必要はないのではないだろうか?と気付くことが出来る。少しずつ自分がやってきたことを振り返ることで、今を確認し、調整を行う。中にはめちゃくちゃ馬鹿なくだらない作品をつくったりしてて、失笑しか起きず、それでもその時の気持ちはよくわかったりして、ホッと一息つけたり。

 

もうなんでもアリなんだ、、、みたいな。

 

大して自分の人生、自分の事、に集中できないことに腹が立ってて、それに気付き過ぎてて、自分がないなあ、、なんて思ってて、読む本も情報に左右されて、出会う人も一方通行だったりして、なんかもー総てを捨てたくなる時があって、それもどうしても当たり前な出来事だよな、とかわかっちゃったりして、そんなこんなで夜はキツい時間になってます。いわれっぱなし、やられっぱなしの言い返せない自分が居て、世界平和なんて、そんな、、、、そんな・・・・・・、って感じで、追いつかなくて、そこまで実は全く思考が及んでいなくて、こんなんでも生きてていいのか悪いのかって聴けば、それは周りは生きてればいいじゃん、好い事あるよ、といってくれたりするけど、死ぬ勇気なんてサラサラなくて、どっち付かずで結局のところ"生"にまでもやられっぱなしじゃん、、、、て。詩的にやってるけどこれはポエトリーリーディングってやつか!?知らない。

右頬にニキビが小さなニキビができてるよ。表面的にいえば、そんくらい健康です。毎日手に馬油を刷り込んで手だけは綺麗で、絵を描くし手だけはごつくても、華奢でも綺麗に見ていたいなって思いで、なんとか必死に生きているようで、ダルい毎日を過ごしています。

どうしていいかなんて正直わかんなくて、何かに頼りたがるクソみたいな脳みそにさよならしたい気持ちがいつもあって、割り切って宗教にどっぷりなんてことは全くなくて、それすらできなくて、おれの居場所はどこっすか?!ってかんじで、まずはてなマークから登場するようなニュアンスで、これも友達からの受け売りで!って・・・。くだらない。

 

おれはどこへいった。自分探しってなんだ。それぞれがそれぞれの頭の良い人が、養老孟司さんなんかが、自分なんてすぐそこにいるじゃん、いつでも、みたいなことをおっしゃってて、そりゃそうだ!なんておもったけど、、なんか違うじゃん?

 

そのすぐそこにいる自分が見えないんすよ。腹が減ったとか、少し歩きたいとか、外の空気吸いたいとか、あるけど。それくらいのことしかわからんですよ。わからん!自分を見失うというよりも、自分なんてもともとどっからうまれた概念なのかわかんないし、好きな食べ物とか嫌いな食べ物とかそういうのを知って来ただけで、作用されて右往左往して生きてきたんだろうな、取捨選択していきてきたんだろうなぁ〜って....そういうことか!

 

現在の自分が信用するに足りるか??!って話しなんです。もう総てはそこに集約されてます。正直。

 

ダッサイよねーダサい。

わかってんよ。

チンポムのエリィさんがダサいっておれを駆り立てます。

 

わかってます。わかっております。

でも、ダサくない方向が少なくとも今のおれにはまったくわからないんだもん。

ダサい方向で、わかる方向で、やってくしかなくないですか?!

 

わからない事に首を突っ込むことも大事な気がして、、はあ。

そういう、人の声やら何やらが、時として自分を圧迫して居場所無くなります。

どこからくるのかそういった社会的な在処みたいなのが非常に僕を追い立てます。

 

闘う勇気はあるか?!とか訊かないでほしいです。

僕は喋った事に責任もてるような人間ではないし、ころころ変わってくし、鉄じゃなく素早く腐敗する肉です。

おれはきっと、生きていくには難しすぎる世界を選んでしまったのだろうと思います。

保育園児のころから思ってたのです。生きていけるのかな?って。

なんだかずっと僕は生きていけない感覚を背負いながら成長を続けてきました。

今もその不安が消えずにあります。

 

弱音ばかりですまない。本音の連続だ。

正直この先、明日に既にビビってます。

早く臓器提供の認定証とどいてほしい。