僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

2015 4/24

とつぜんだけど、今日誕生日を迎えられた人はどのくらい居るのだろうか?

 

急にそんな妄想が降ってきたので、とりあえず、、、おめでとうございます!

 

ということで今日の起床は午後1時半くらい。昨日の徹夜で就寝は朝6時か7時だったと思うので、さすがに起きる時間もズレた。

 

現在朝3時半だし、今日も今日とて徹夜みたいなものか・・・。

 

今日は大体ずっと昨日からやってる詩集作りの為の詩の編集作業をしていた。結構膨大な量;マンガの製本とは訳が違いますね。。

 

大変です。当初は中綴じ(ホッチキスではなくて、ヒモで縫うやつ)でつくろうと意気込んでいたんだけど、ページ数がどのくらいになるのか想像がつかず、面付の計算が出来ないから、諦めた。さすがにわからんかった。ページ数がはあくできん?

ページ数さえわかれば、面付の計算はコンピューターがやってくれるところを探し出したので、安心だったのだけどね・・・。

 

なんせ難しいもんです。

 

今日はとにかく、詩を文書(PDF)ファイルにする作業に尽きた。

朝少し絵を描いて、それから思い出ノートも作る。

 

桑田圭祐の祭りのあとが頭の中のBOSEのスピーカーから流れ出てたので、実際にそれにシンクロさせるようにYOUTUBEを開いた。

この曲、僕が10歳の頃から気に入って、そのときからカラオケで熱唱していた曲なので、もう歌詞も完全に頭に入ってて、ようわからんが、大好きな曲です。音を特に気に入ってたと思います。桑田さんのこぶし効かせたような特徴的な歌い方も好き。

今になってもまったく色褪せていない印象に、自分が生きていることに一種の違和感を感じた。まるで昨日10歳の時の自分であったかのように、リアルに直接的に、昔感じてた周囲の印象などを桑田を通して鮮やかに香り始めたのである。音楽という藝術作品を通じた錯覚の効果である!まさにそれは、ある条件が揃うことで空箱だった木の箱から、ハトが飛び出してくるようである!

 

生きてるという瞬間を思い出すとき、そこには必ず自分の過去の記憶が関わっているような気がするのは気のせいか?

過去の記憶のだいたい全てがある程度強固にインプットされており、その情報は何事かをキッカケとして、ときたま現実へと顔を覗かせる。その瞬間に私たちは少しだけ、気がつかない程の"生きている"感覚を得つつ、自己を確認しているのではないか?

変化が多く、情報過多な時代を生き抜くための動物の特殊能力をそこに僕は感じた。それは実は人間にとって大事で必要な、生命を持続させる為のプログラムなのではないだろうか。

 

この忙しい時代を乗り切るには、自らの生を、過去を、意識しない程の微弱な電波からキャッチし確認し続けなければ、体力は既に終っている可能性がある。

 

そして、これは実は絵を描くことにもつながっていくのだろう!

 

自らの過去がどこまで深く昔へと繋がっているのかはわからない。自分の歳の数だけが、本当の意味で自分の全ての過去なのかは断定のしようがない。もしかすると、もっとも古くの記憶は恐竜に会っていたのではなかろうか?とか、、、。

 

あまり行き過ぎると、誇大妄想といわれて、オツカレーってな感じだろうから、あまりいわないが。

 

ちょっとだけ、躁っぽい。きてるっぽい。

自信があって、わくわくしてる。昨日買った100円均一の道具なんかに想いを馳せ、これから描くだろう絵のことを考え、うきうきしている。子供だとおもう。ま、良い傾向だとおもうので、様子見。

 

しかし、詩集の創作が全く終りそうにないので、大変。

完成の想像ができない。どんな本になるんだろうか。

作品はまったくもって僕が選んだ、個人的な趣向のものだし、凄く良いものなので、読めば確実に面白いとおもうのであるが、それをどう並べて表現するかとか、自分が一番わくわくする方法で製本したいと思ってる。

時間がないのに!面倒なことをしようとしてる。あー、いつもこうだ。

 

あんまりこだわって意図的にはしたくないから、自分が一番楽しめる読み順を考えよう。大変?

 

こんな感じでした、今日!