趣味の世界

興味のある事

もしかしたら僕は・・・・。

誰も触れたくないような人間になるのではないか・・・。

 

未だに僕は生きている現実味をおびない現実を彷徨い続け、決心のつかないアレコレに対し妥協し、まるで刻を飴細工のように熱で伸ばして生きているような。。

 

40の頃の自分を想像しよう、、といってもそんなのできるわけはなく、40の誰かをよくしっているわけでもない。ただなんとなく外ではサラリーマンが平日昼間には歩き、わたしというネームバリューのないユニクロの上下を身に纏った初老が闊歩する。違いが明らかに解るのが外での世界であって、外での世界ではそれをまざまざとみせつけられるのであって、とても創作なんてできたものではないのである。

だから、僕はだいたい家の中に籠るしか選択肢はなく、籠り続けるハメになっている。ーここまで。視聴者には当然のように感じとれたと思われるが、それを表現するならとても弱い動物の鳴き声のようであったろう。

 

僕はもう30になる。まだ29であるが、これはもう33くらいの意識をもたなくては自分の時代をはき違えそうになる恐怖を、畏怖を、目の前にして生きることが出来なくなる。盲目のおれ、なんて存在がいたら、それこそ害悪であり、不幸であるとおれはおもう。この文章がまず、不幸である。

自分の自信とはいったい・・・とかんがえはじめて早数年!あっというまに過ぎ去った年月。残酷な給与明細。働けない頭脳。仕事やめたい、、となる前のクビ宣告。どうでもいいのだけど、僕はなぜ生きていてはいけないのだろうか。。生きていていいと誰にも肯定されたことがない。というか、完全な肯定がだれもできない、それが現実である。

生きていていいと思えるのは、ただ命の持続が意識を叩き起こすからであり、明日の希望といったキラキラバリューなんてものは己の中には存在しない。キラキラした泥を吐く毎日が少女の常習となっている。

現実を憂いたいわけではない。圧倒的になぜ生まれてきたのかがわからない、ただそれだけである。なんでおれは日曜日だというのに、こんなに短歌を読んでいるのだろう!!いや、おれが始めたことだし、おれがしたいと思ったことだからだよ、、とおれは落ちつくが、落ちつかない。なぜならあんまり楽しくない。何が楽しいのかすらいまいち解らなくなってしまった。

 

昨日部屋の模様替えをした。したが、それも。。んー、なんというか、だれにみせるわけでもないので、ネットにあげようとは思うが、、。欲しい情報は本当は要らない情報のオンパレードであったという事実がおれを苦しめている。じゃあ、インターネットなんてしなければいいのだ。しかしインターネットは偉大である・・・・。((おい!

とにかく、暇につぶされないように、やっているつもりであるが、しんどい。。しんどいときになにをしても、やはりしんどいだろう。。しんどい時には絵を、、。それは10分あれば終る。。

 

酒が飲みたいなあ、、なんて思った。はじめてのことだ。

ひとりで酒などのまないから僕は。だし、家で飲まない。

でも、飲んでないとこの陰鬱さは消えないのではないか、、と思ってしまう。

じゃないと、またインターネットの過集中の世界へ放り込まれてしまう。

そうなると、おれは気が気でなくなり、どうにも体力が続かなくなっちまう。

 

写真をとってる。イヌの。たのしい。写真がすごく楽しい。

うめかよ、、ではないが、うめかよの"写真って撮れるからいいんです。"って言葉に納得。だって撮れるんだもん。

 

撮れるってことの喜びが素直に収まる感じ。凄く好きだ。

ハッ!!としたら、シャッター押す練習している。30歳なのに。笑

 

どうしたらいい、、。どうしたい?

一時の気の紛らわしで生きてく為の方法を僕は繰り返すだけで死ねると思っているのか。いつか底をつくぞ。

 

その恐怖がもう、じわじわ来ている。じわりじわり...。

どうしたら好い?どう動けば好い?

それを試すだけの頭のキレが僕にはなかったりする。阿呆だ。

みなさんにも迷惑かけたし、本物だ。

 

けど、生きてたいし、生まれたからには。

どうしたら、生きてるよな!って確認できんだろう。

写真のスイッチは刹那だ。刹那で生きてそれが積み重なれば、すごいことになりそうじゃないか。。。まあ、、、。うん。

 

正直言う。表現していきていきたい。それしかないとおもっている。

ほんとうに。だれかけじめのつけかた一緒に考えて欲しいです。

もう迷っている時間ではないとおもうのだ。でも、今の活動をつづけることに意味を見いだしてはいるけど、個人として。

 

もっと多くの人に出会う為の一歩を、、刻まないと、僕は前に出れないよな。