読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

2015 4/16 木曜日 起床朝5時30分。アルバイト。瀬戸まで、岡山駅〜320円。山の在る場所。山が近く、山の景色がめちゃくちゃ綺麗である。存在感も凄い。基本的に景色が開けていて、開放感がある。

ザ・山!!という場所。魅力的である。空気を吸っているだけで力をもらえる。山の存在が近すぎて1本1本の木が明瞭に見える。中には未だに桜が満開していて、ピンク色が所々に点々と。

瀬戸に来ることが嫌ではないのが、この景色のおかげである。ここは尾道に少し似ている。

 

山の輪郭に興味あり。キレイな稜線を描いている。色も綺麗。緑と青と白と灰色、、、。

仕事あと、工場から僕は出ると山の光景がドンと迫ってくる、、というか、ただそこに在る。いつも僕は見とれてしまう。存在感の強調ではなく、そこにいつもあるよ・・・という、優しさが山には感じられる。自然物の猛威を僕は知らないからだろうか・・?優しく見えるのは何故なのだろう?

山、、、気になっている。

 

トイレにて。

山とは人間の視点からそれを覗いてみた時に、それは家であることに僕は気付いた。山には何匹の蛇がいるのだろう、、と便器に座りながら考えた。その蛇が僕の頭に降ってくる。バサバサバサア・・・・・。

とてもたくさんの蛇がおちてきたように思うが、それがどのくらいの量なのかは想像がつかない。想像ができない無知であった。

しかし、山という存在はわかる。表面が緑色であり、緑色の葉っぱをもつ木に覆われている。それがつらなり、黄色にも黄緑にも見えたりする。

 

人間の家はどうか?表面的には窓がたくさんついていたり、玄関があり、郵便ポストがある。電気メーターなんかもあったりする。情報としては何者かが棲んでいる足跡がぽつぽつとある。しかし、何者がそこに棲んでいるのかはだれもわからない。表面的な家をみて、どんな人が住んでいるのかは解り難い。ましてや、何人の人が住んでいるのかなどわからない。

このように家だけを見ていて、その中身の生物の存在までは想像がつかないことがわかる。

山とはたくさんの動物の家であり、そしてそのものが生き物であるから、存在感の強さを感じるのではないか、、?と僕は考えた。

 

昔の民家が山っぽいな、、とも逆説的に思う。瓦葺きの屋根ではなくて、草葺きの屋根に群生する植物などを見た時に思うのが、生き物が住んでいる場所にさらに生き物が住まう構造を眼に見える形で持っていたからかもしれない。

つまり、僕らはミニ山に棲んでいたことになろう。山は日本に馴染みが深い。そうした家の創造力はおそらく自然物からとって付けられている節があるようにおもうし、人間の植物への希求の感情が屋根に植物を群生させたのかもしれない。あるいは庭とか。

 

山をただひたすら描いた田舎のアーティストを梅ラボさんが凄い!とTwitterで言ってたのをみたが、気になる。山はただそこにあり、人間に、日本人に本来の住まいを考えさせる一つの大きな通過点、いや原点にもなりえている可能性がある。山で山菜をとる人間や動物は多い。山というのは動物が一斉に求めようとする家の形であり、それがただ、日本人には馴染みが深いという歴史の流れを感じさせるような体験をした。

 

山と、浮世絵、、、おれは日本へ還ってきている、、のか!?

 

わからないが、このまま面白い方向へ向かっていくと好いのだけど。