趣味の世界

興味のある事

2015.4.15

起床午後13時05分。親戚のイヌが家に遊びに来ている。3匹。遊びにきているというが、世話を任されているのであり、イヌたちは、檻の中で静かに暮らすことを約束されたのであった。僕は3匹のイヌと私の家のイヌの合計4匹のイヌが家の中にいることを頭の中で確認し、起き上がるのが非常に面倒くさくなったことが、今日の起床の遅さを物語っている。と、推測した。

 

おはようございます。江國です。親戚とかにこのブログを、家族とかにこのブログを観られていたら非常に恥ずかしいな、、というか、嫌です。でもまあ、そういうことも考えなければならない、と最近思っています。何が怒るかわからないこの世の中です。明日誰かの何かのせいで、大不況が起こることはまずないだろうけど。

今日は詩集作りの延長線上、まっただ中。詩を選別するために僕は詩を読む、、どころか、Twitterで鬱クラッシュやらかした。詩を読むのにチカラを使うので、どうしても鬱っぽくなりがちで、僕も詩を書いたりし出す。つまり詩に負けている。ひれ伏されている。僕の人生はなんて軽いんだ、、て今日は思ったよ。どんどん影響されていくその様は無様?まあ、僕はおもしろいんじゃないかなって思っています。そのような様も楽しみたい。

 

詩を読んでいると、その人が詩を書いてきた当時を、生きていたその人とお喋りしている感覚になるのはなぜなのだろうか?詩というか、文章だったりするし、その詩にはおそらく真実がてんこもりで、情報としての文章以上に、確かな圧力となって、ただ僕は真に受けている。文章は時に噓をつくだろうし、あるいは真実ではないだろう。・・・おそらく。真実は表面に書かれた文章の奥底にちらりと存在をほのめかしたりする。それを僕は勘違いかもしれないが、みつけたりすることもたまに在り、、というように、どんどん個人的な頭の中で情報の改ざんがおこなわれていたりもする。

 

 

 

人生を書いた、伝記を書いた、書くことはすべて己に集約された。

 

とにかく進めなければならない詩の朗読を、ぼくはあまり進めることができず、今日は終わる。

絵を書いた、ふたつ。マンガと思い出ノートもつくり、今日は終わる。

詩を数片残した。

 

詩は非常に強くしなやかな細い線で描かれた絵画としっかり繋がっている感覚を創造させる。浮世絵を早く調べたい。今月までに今和次郎を研究し、そして、浮世絵に移ろう。

人生を楽しくするためにこういうことしている、という自覚もあり、、。

自分の過去から、自分の新たな未来を探そうとしている、、なんともよくわからん暇人のような仕事を持ってしまっても、いる。

 

馬鹿みたいな話しだけど。ほんとうにそこにはなにか未来的なもんがあるんだろうか?わからない。。

 

こういうことを考えていると、いつも参る。