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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

硬質な何かで形作られた虚像。

2015.3.27金曜日 起床5時55分。お得意の熊本産のトマトを使ったチャーハンを作る。弁当と朝飯にする。めちゃうま。美味いっす。我ながらトマトチャーハン良いと思う。適当に試して作ってます。パスタ料理は種類が豊富にできるので、お試しを。ツナ缶や青じそドレッシング、おくらなんかあったら簡単に出来ます。いや、べつになくても適当に何とか出来ます!笑

ということでクッキング情報は適当に終り、僕はアルバイトへ。うーん。バス混み混みです。めっちゃ混んでた。すごい大群のアルバイター達が集ったようだ。今日も僕は静かに何も喋らずいなければならないのか、、というか、喋るのがめんどくさい・・やばいよね?どうなの・・?自分ではちょっと不味いと思っているんだけど。。こんなことなかったんだけどなあ、、いつもは。。。初対面でも話しかけるときは話しかけるし、話しかけたら結構話しが盛り上がったりすることもあるし、んー・・・ダメです。おそらくメンツが固まってきているので、いつも顔会わす人と仲良くなりたくないのかもしれないです、、。顔会わせるたびに仕事場で話しをするのがものすごく嫌いなんです。。仕事仲間で仲良くするのは本当に苦手。。いや、薬局に勤めてた頃、韓国人のソンさんて男のさわやかでめちゃくちゃ優しいイケメンがいたんですが、その人とはマジで仲良くなりたかった。あっちはよく話しかけてきてくれてよかったんだけど、僕が仕事で頭一杯でテンヤワンヤになってて、ダメでした。。ソンさんはものすごいマジメで努力家だから、たぶん薬局の中でも結構上の階級へ行くと思います。というか、ソンさんおれの一つ上なんだけど、それでも結構差を感じてたよ、、負けてられんね;;💦ソンさんを思い出すと頑張らないといけないと思えます!うむ。

そんな過去のもったいないことなどを思い出しつつ、僕は労働です!今日はかなりハードワークで、要は工場のラインに冊子を供給していくんだけど、これ、止まる暇ありません!!俺の好きな奴だ!!止まる暇がないのが好きです!止まると眠いので、ずっと動いている方がいい。工場は機械の音でリズムとビートが刻まれているので、その音に反応して身体を動かすと良いです。聴覚過敏の方は、耳栓を、、。僕は耳栓した方がいいときと、悪い時があって、単純作業なら耳栓して周りのおとを防いだ方が良いです。しかし、今日のはちょっとばかし考え無きゃいけない作業だったので、耳栓OFFで結構な音のなかやりました。

 

ガシャンガシャン、、、、ウィィイイイーーーン、、、

 

と音がなり続けます・・・。機械が止まるまで。今日は散々僕がミスって機械を止めてしまってたので、かなり厄介な奴だと思われたと思います💦午後はなんとかなれてきて、ペースもつかめてきたんですが。。最初、説明きいた時、不味いなあ〜、、って思いましたし、、できるかなあ、、て弱腰になってました。そういう時思い出すのは、Gackt氏がラジオで言ってたことを思い出します。間の悪い奴は自分のやるべきことに集中してない。自分に関係のない周りが動いていることに集中を傾けている。だから間が悪い。自分のやるべきことだけに集中すれば、間が悪いなんてことはなくなる。、、、と!

これを聞いてから、僕は労働中はGackt氏を想像してやってます。というかなりきってます。だから、たぶん怖いです。集中してるときとか。でも、これがお守りのようにきいてて、すごく感謝。間が悪いのって本当に僕に当てはまることだったから。確かに周りを気にして自分のことが出来ないパターンが結構あるので、、。もう、今は無視してます、正直。笑 自分のやるべきことをちゃんとやるんだ!それが目的だ!と言い聞かせて労働。すると結構精神的に安定しますね。あと、Gacktに追いつきたいという気持ちがあったり。。基本負けたくないのかもしれないです・・。どんなに底辺に居ようとも・・・。

 

というわけで、こてんぱんに今日はやられながらも帰還・・。かまぼこ板アート用のかまぼこを98円で買って帰宅。

江戸川乱歩の貼雑帖と今和次郎藤森照信あたりが気になる。。(坂口恭平日記から)

ここらへん図書館で資料を探してみる予定。自分が今どこに興味を持っているのかがよく定まっていないような・・・。だからか漠然とした不安。。アニメーションは目の錯覚を利用して作られている。止まっている絵を順次送っていくことで動くというモーションを表現出来る。錯覚の利用の産物。そのアニメーションは、はたまたリズム感を表現に加えることで音楽を表現することにも成功している。タメや、中抜きといって絵と絵の間にさらに絵を足すはずのところを、描かずにそのまま送ることでスピード感を演出する方法など、動きのスピードを細かく調節することでまさに感覚的自在な演出を手がけることが出来る。アニメのなんでもない場面が音楽的に映ることなんて多々ある。音楽など流れていないのに、そのモーションをみたときに音楽が頭の中で勝手に流れ出す感覚がある。すごいことだ。僕はアニメーターになろうと思ったキッカケのひとつに、絶対あのアニメ"kanon"の演出、、画面の空間創造と計算された動きのリズム感、そして純粋にシナリオ(演劇)にヤラレタのだと思う。シナリオに魅了されていたが、それはシナリオが感じさせてくれるキャラクターの演技や仕草、また物語の事の運びのリズム感にやられていたと思う!!おそらく僕が絵を描き始めた理由は、僕が具体的な覚えの無いある懐かしさを連想させる空間の創造と、ある独特な音楽、響いたリズムなどがなぜか僕に絵を描かせる自信を与えたのだと僕は思っている。創作とはおそらく、能動的に全ての感覚を稼働させられてしまう行為である。しかし、そこから作られたものに対して感じ得られるものは、時に音楽というリズム感を与えてくれるし、存在はしないが具体性をもちつつも言葉で表現できないような空間を作り出させてしまうところがあると思う。それは新しいものではなく、既に自分が感じていたあの頃の感覚だったりする。何かはよくわからぬが、とても懐かしいものなのだ。新しい感覚を得ていると感じる時、その新しさはなぜか今まで自分がいちど経験しているかのような懐かしさを包容している事がある。これはあくまで僕の自論であるが、おそらく僕は衝撃を受けたあの瞬間、アニメkanonを観て、あの衝動を感じた時、ある種の哀愁を感じていたんだろう。そこで描かれている背景、風景、空間に、とても懐かしさを感じた。真冬で雪の降る夜のアーケード街のゲーセンが黄色い光を放っている。それを何故か僕は知っていた。そんな場面を場所を僕はいままで一度も訪れたことは無いのだが、、なぜだろうか?

あと、僕は小さい頃、車の中で父親や母親がかけるカセットテープの曲を覚えて、よく大声で歌っていた。車の中は必ずと言っていいほど、僕の一人リサイタルが行われていた。なのですごく懐かしく古い曲を知っていたりする。当時バブル全盛期だった時期の曲もよく覚えている。題名までは把握出来てないが。ドリームズカムトゥルーの曲が印象的で。。冬の夜中、まばゆく白い蛍光灯のついたガソリンスタンドを車で横切った時にその曲がながれていたその一場面だけを強烈に覚えていて、ドリカムのその曲を聴くと、その車の中から曇った窓ガラス越しに見えるガソリンスタンドの蛍光灯の明かりの情景を一瞬で頭に浮かべてしまうことがある。要するにあの時期へ"還る"のである。それがとっても不思議な感覚なのだ。言葉で表現しようにも、なんとも言えない哀愁であり、・・・ちょっと難しい。その難しく懐かしい感じをアニメの何でも無い、意味の無いワンシーンで想起させられることがある。。一体これはなんなのだろうか?あまりに不思議である。その不思議を追い求めようと奮起し、アニメの世界へ憧れた。そのことが今でも僕に絵を描かせている。絵を描くこと自体はそう目的ではない気がする。ただ、その不思議なものに迫りたいがための手段の一つとして絵を描いているに違いない。それはべつに文章でもよいのだ。うん。どうしたら、その生(なま)の感覚を表現できるのだろうか・・。

生じゃないとダメだ。。形を一生懸命なぞろうと、作ってしまうと、、なにか違う気がしている、、。どういう状況で、そのような哀愁を感じるシステムになっているのか未だにわからん、というかわかれば凄いんだけど・・・!ノーベル賞とれるんじゃないか・・な?たぶん。哀愁感じられます!というような音楽とかリズムCDが出始めてさ。

 

いちばん哀愁を感じられるところへ自分をもっていきたい。その為の創作かもしれないな。感じるままに制作出来た時、はたして哀愁を感じることができているのか、、まあ、その2つの出来事は繋がっているどころか、ちょっと食い違っているような気がしているが。感じるままに制作出来たときの満足感はすごいよね。またまた、あれはなんなのだ・・。

錯覚というものを分解して、音楽やリズム、そして、空間や手触りとして又は匂いとして、、具体的に表現することができるような、、気もしているのである。

いや、、もっと簡単なところにあるはずな、気がする。

もうちょい小説とか読んでみたい。頭の中で空想と呼ばれているような情景・空間を組み立てていくメカニズムに興味ありまくり!実験。