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"人に感謝せよ。しかし頼るな。やる気は自分の中から生まれなければ続かない、意味がない。"ー奈良美智

偶然出会った美術家の奈良美智さんの言葉。ずしんと来た今の心境。今僕は、自分のやるべきことを見失っている。言うなれば周りの景色はどこを見渡しても、海面で一面を包まれたような無人島にポツンと一人だけそこに存在しているかのような状態にある。僕は何を求めて行動したらいいのだろうか?どうしたらこの状態を切り抜けられるのだろう?迷ってばかりだ。つい人を頼りたくなる。ある筈も無いi-phoneを僕はポケットから取り出して、喋りたいとその時に思い出した人へと次々と電話をかけていく。すると、人が頑張っている様子などが想像できる。あの人も頑張っている!おれもやらなきゃ!!と僕は、再び、イーゼルを用意し、絵を描くための準備を始めるのだろうか。しかし、そのやる気と言うものは、熱した鉄をずぅーっと叩き続け引き伸していくような感じで、いつかは鉄は伸びなくなり、先端が欠けたり、折れたりするだろう。たとえ話だが、そんな状態の僕は鉄だ。自然とわき起こるやる気というものはそれに対して"金"である。と僕は思う。金属の中でも、金は延性が高く、延々と伸びる金属である。叩いても叩いても折れず、限界までどんどん広がりを見せていく。折れる恐怖がない。

これまで僕は様々なことをやめてきた。この道一筋で!というようなことがない。この道一筋がどうやら向いてないようである。ギターは何度挑戦しても、3ヶ月もたたないうちにいじらなくなったし、始めたブログもこれまた3ヶ月もつづかない。3ヶ月という目安が僕の中にはあるのだけど、それも最近では少し長過ぎやしないか、、?と感じているほどである。そんな気分屋な僕は色んなことに手をだしては、思うままに創作を開始する。絵は中でも特にながく続いている趣味であり、注文は一度も受けたことがないが、これを僕は生涯の仕事だと思っている。そういえば子供の頃から僕は創作が好きであった。というのも、別に図画工作のようにモノをたくさん作っていたというようなわけではない。もちろん図画工作はとても好きではあった。その頃、丁度僕が小学生、中学生あたりの時代、僕はいつも弟や友達と行動を共にしていた。野球をしよう!となれば、障害物となりうる民家がつらなる場所であっても、車が滅多に走らない道路を利用し、あるいは家を囲う塀や電信柱を利用して、僕らは野球の概念(ルール)だけを頼りに野球をするのだ。足りない選手であるキャッチャーは民家を囲う背丈くらいある少し高い壁を利用し、一塁、二塁のベースを電信柱を利用するなど、そこにあるモノを活用して遊ぶことに成功した。それは、同時に普段利用されている筈の目的を忘れさせ、一瞬だけでもそのものを生かす活動に繋がっていたのではないか、と僕は思う。

このような体験から思い出すことはといえば、僕の子供時代はとにかくやる気に満ちあふれていたということである。それはもしかすると、僕一人では成し得なかったことかもしれない。友人がいて、弟がいて、みんなで楽しもうと頭を使った結果なのかもしれない。他人の為に使うための労力というのも、捨てたもんじゃない。昔のそんな体験を思い出すとそう思える。そう考えてゆくと"人に頼る"という言葉の意味の広がりを感じる。たとえば、ねえねえ、、お願い!と相手のチカラを頼りに願い出るものと、自分が相手にしてあげたいことを考える時、必要となってくる相手の存在感に頼ることとでは、まったく違うと思う。相手の力をつかい、自分の創造力を養うのではなく、自発的な創造力を相手の為、または自分の為に使いたくなるとき、自然とやる気が自分の中にわき起こるものなのだろう。

自分の創造性がでてくるとき、それは強制的に出てくるものではないのだろう。いつしか自分が楽しんでやっていたことが、決定的な作品作りを見いだしたことで、強制的な概念をはらみ、僕は何故かそれを行うことに苦痛を感じるようになっていることがあった。それもまた必要な経験であったとはおもうのだが、予想以上に辛い作業である。"今すぐあれが作りたい!したい!"と他に自分が求めている行動があるのに、それに気付いている自分に対して無視し続け、それでも自分が信じてきたものを続けることは、自分が信じてやってきたものを裏切る行為でもあるのかもしれない。なぜなら、創造することによって、僕は僕自身に喜びを感じていると理解した瞬間から、創造という行為自体を信じることが出来たからだ。苦痛を伴いながらも、何かをし続けなきゃならない時は確かにある。明確な目的がある場合はえてしてそうだ。しかし、僕は喜びを追求したい。いつもみている世界とは見え方が変わるときのような、気持ちが高揚する一瞬を感じ続けて生きてみたい。僕にとっての創造とは毎日変化し続ける"創る意欲"を感じ、そして素直にそれらを創り生み出すこと。多様に手を出したそれらの創作に通じる一つの答えを求め続けること。

ほう・・・・、なんだ、ちゃんと目的を持っているではないか。と僕はほっと胸を撫で下ろすのであった。