趣味の世界

興味のある事

08056248063 THIS IS THE MY TELLEPHONE NAMBER

2015.3.4水曜日。起床朝8時。おそらく3時間ほどしか眠っていない。偏頭痛と吐き気。3時間じゃなく4時間眠れていたらどうだったのだろうか、さして変わりはなかったろうか。わからない。しかし、起きなければならないギリギリの時間に目を覚まし、活動のためのエネルギーをインスタントラーメン、エースコックのワンタン麺で補充。うまいっす。このスープの濃い味が堪らない。きっとすぐに病気になる上手い薬だとおもえばいい。こういうのはほどほどにしなければ病院おくりになることをわかっていながら、朝っぱらからやめられない。というか、これしか無い。食べて、Twitterをすこし見る。ココまで日課。洗顔と歯磨きと着替え、支度は10分あればできる。僕はそういうのは早い。後は飯!合計20分ですべての支度を終えて、僕はTwitterをみている。まるで何かを監視しているかのように僕の眼はタイムラインを眺めてゆく。面白いツイートが結構ある。すぐファボし、リツイートする。それが日課である。ライフワークがつまらない、なんていわないでほしい、これはれっきとした、僕の仕事である。おそらく。こうやってちゃんと花に水をあげるように、なにものかを監視して一日が始まる。ひどくうなだれた朝を迎える。晴れて良かった。岡山は良く晴れる。(曇りが一番多い。雨が降らないというだけ。)自転車の調子はどうであろうか。少し心配しながらも、またぐと、タイヤは嬉しそうに跳ね返り、弾力はバッチシであった。こうして今日も自転車を漕ぐ。青いマフラーを付けているのだが、(母か妹のお下がり)毎日匂いを変えたい。なんかいつもマフラーの匂いかぐと外の匂いがして、あんまり好きじゃない。マフラーに香水はありかもしれない。香水じゃ匂いが強いから、オーデコロンとかでもいいかもしれない。オーデコロンとか、高校生以来何にもつけていない。高校生のころは、オーデコロンをなんでか買ってしまい、(単純にいい匂いだったのだとおもう)学校へ毎日つけていっていた。変なやつだった。誰もそのことには気付かず、触れられなかったのだが、僕は僕が変だと少し思ってたと思う。しかし、一週間もすれば慣れるもので、なんとなく平気になった。当たり前のように首筋につけて、登校。これがいい匂いだとおもってたので、恥じらいよりもナルシズムの方が優り、まるで阿呆な高校生だったと思う。匂いに関しての知識は僕は疎い。なので、知っている人に教えてもらいたいが、とりあえずは薬局へ走ればいいのかな、なんて考えている。よくわからないが、薬局でオーデコロンは購入したからだ。とにかく鼻をつつくマフラーの匂いを変えたい。これ以上に外の空気を吸うと僕は目が乾き切ってしまいそうだ。もっと夢がみたい。

 

朝、病院へ。久々に当直のカウンセリングの先生と顔を会わす。今日はコミュニケーションの会第十八回目である。21回まで確かあるはずだから、今日を除いて残すところあと3回。もうそんなに時間が経過しているのか、、と僕はしみじみ思い、いつも通りの名残惜しさや、寂しさを感じた。僕はこの朝の病院で何が一番たのしい時間であるかといえば、結構初めの方からしてた、配られたプリントへの落書きで、なぜか白紙よりも、配られたプリント、、文字や四角いスペースが印刷されている無駄のない紙の方が落書きが捗ることを感じた。それともこの十人ほどが埋まったスペースだからこそ、捗る作業なのか、、わからないけど、ものすごく集中できる。僕は思いつきの人間なので、落書きはこういう無駄のない紙にやっていこうかと思っているところだ。もしかしたらすごく上手くいくかもしれない。うん、やってみよう。そして、僕は数日前に招き猫イラスト大賞にて、見事、入賞を果たしたので、それもみなさんに知らせた。パンフレットが5枚届いていたので、宣伝してください!とのことであろうと僕は判断し、早速病院へ持っていったのだ。とりあえず、自慢しに。。笑 カウンセラーの赤澤先生はおめでとう!と元気よく体育会系の挨拶をしてくれた。上手く返答の言葉はでないけど、とてもうれしかった。喋るのは僕はあまり上手くない。しかし、伝えたいことは伝えないと損すると思ってる。だから、きっとこういう嬉しい報告は伝えた方が良い。自分にとって嬉しい報告は、たぶん、周りも歓迎してくれると思うから。これはもう、思い込みにちかいけどね。笑 僕はこうしてただ、笑っていたい。ずっと。永遠に。いや、永遠にではなくてもいいけど、人生の5割くらいは笑ってたい。だれか、招き猫イラスト大賞に興味をもって、絵を描いて送ってくれると嬉しいなあ。。と思う。コミュニケーション講座の受講生である女性の一人は、とてもおしとやかで、静かな方なのだけど、なんだか魅力があって、カウンセラーの先生ともいちばん会話を交わしている方がいる。その方が、自分もイラストを描いて送ってみようと思ったのだけど、独創性に自信がなくてやっぱりやめたそうなのだ。こういう話しをきくと、僕はぜひ描かせたくなるのだけど、、これって鬱陶しいかな?よくわからないから、触れないでおいたんだけど、一緒に絵を描いてみたいなーと思ってしまう。べつに教えるとかではなく、ただ、なんとなしに絵を描くのだ。一緒に。笑すこしシュールだけど、僕はこういうの好きだ。キャッキャしなくてもいい。絵を描いている時は僕は寂しくならない。だから、喋る必要もあまり感じないし、それは自然体なのだと自分で思ってる。デートみたいでそういうのいいなあ、と憧れているだけかもしれない。この講座にきている人たちは、広汎性発達障害と診断を受けている方ばかりなのだけど、ちょっとした遊びのトレーニングで絵しりとりをしたときにみんな予想以上に絵が上手かったのだ。良い絵を描くなあ〜・・・と声にはださないけど、めちゃくちゃ心の中で思ってたのだ。こういう人たちが招き猫を描いたら面白いと思う。まあ、半ば強引になっちゃうので、ここら辺でこの話題は終ろうと思う。あと3回しかないけど、実は結構みんなと僕は仲良くなりたくて、それでも全然話しかけられずにカウンセラーの先生としか喋ってないんだけど、、やはり、仲良くなりたいなあ、、となんとなく思っているのだ。あの人と仲良くなりたいというのがあって、なんといえばいいのか、どう声をかけていいのかわからず、戸惑っている。次の機会に声をかけてみようと思う。話題はよくわからないんだけど、、。このように、頭の回転は遅いし、考えるチカラも無いんじゃないかと思えるほどの僕であるが、諦めたくない、特に今年は!今年は諦めたら全てを逃すぞ!という意気でやらなくてはダメなのだ。その意気でやってれば、乗れないと思っていた電車にもバスにも乗れたし、精神的に不可能か可能のニアーイコールだったのが、物理的に可能になったんだから。だから、挑戦しなきゃね。別に嫌われてもいい。それが結果なら悔いない。自分が行動したことに意味がある。そう思う。自分がもっと大好き!自分好きでいいのだ。おれはナルシストなのだ。うむ。

 

と、今週の病院はおわり、来週の月曜日と水曜日にまた病院の予定で埋まった。来週の月曜日は西村先生とゆっくり話しができたら良いなと思っている。話したいことはあらかじめ持っているわけではないけど、2人で話す空間は必ず必要だと感じている。何度も病院さぼった癖に、そのことの重要性だけはいつも感じているのだ・・・。さぼったというか調子が本当にわるいという、、夜更かしのし過ぎから来る怠慢なので、今後絶対ないように気をつけること。そう念を押して、図書館へ向かった。

 

図書館はいつも自由だ。ルールはあるが、ルールがみえないほどに僕は自由に振る舞える。だからココが好きだ。トイレに自販機、コピー機、自習席、ソファー、新聞、本。なんでもありだ。ここは素晴らしい。ガラス窓から差し込む陽光なんてのも素晴らしいサービスの一つとして機能する。今日はあいにく曇りなのだけど。僕は陶器や青磁器などの資料がのっている分厚い本、辞典をぱらぱらとめくり、結局選んだのは4冊。中央アメリカとアフリカの古代の藝術作品が載っている辞書と、中国の青磁器、陶器が載っている辞書。それに岡山と倉敷の散歩の仕方が載っている本を手に取る。僕はそれらの本を開きながら、スケジュール帳に自由にスケッチしてゆく。陶器や青磁器の輪郭を頭の中に刷り込むように、、。そのまま4時間くらいぶっ通しで作業する。たまに休憩で写真集をみながら。恋人の写真を撮っている写真家の写真って、なんでこんなに切ないんだろうっておもう。その写真集には女性が被写体として写されてて、出会った当時の写真から恋人から結婚して既婚者になり、同棲して〜みたいな時間の流れおよそ20年間にもわたる歳月の流れの中の彼女を写し取っていた。最後にいくにつれ、ちょっとだけ女性の顔には法令線ががでてきている。なんかとってもせつなくなるのだ。初めのページにもどると、わかわかしい彼女がいて、最後のページへいくと、少しだけ老けた彼女がいる。きっと少しだけで済んでいるのはこの女性の自らの手入れのおかげと、写真家の彼のおかげなのかもしれない。なんて他人事ながらに思いながらも、なんどもせつなくなりながら見返す。こんな風に毎日を同じ人と過ごすってどんな気分なんだろうか、と思う。きっと努力が要ることだし、だからこそ幸せな瞬間が幾度も訪れるものなんだろうな、なんて写真からは伺えたりする。そういう生活を観てしまい、今の自分を重ね合わせたりしてみる。合う訳ないパズルのピースを無理矢理押し込むんじゃなくて、逆にそっと外した。僕は僕のやり方で生きようとしている。だから、無理にそこにはまらなくたっていいのだとおもう。だれがいくらの幸せをあびていたって、僕にはそれは体験ができない。わかるのは、写真にうつる彼女が楽しそうにわらったり、怒ったりしてることだけで、僕はその状況がどんだけの幸せ度数なのか、感覚として得ることができない。自分で体感できうることはすごく限られている。そのなかで生きていかなければって写真をみるといつもおもう。それを体験することと、写真をみることは徹底して違うから。ただの道筋にすぎないから。

そんな風に切なくなるなんて、結構歳食ったな・・・って思った。

 

まあまあの良い歳した子供は、命のでんわを開設した。

しかし僕はあまり携帯電話を持たない主義である。でるかでないかわからないが、かけなおすという主義で、電話番号を公開する。

08056248063

これは趣味である。死にたくなった、いなくなりたい、わけがわからない、、そんなときかけてくれたらいい。話しをききます。僕には答えられるほどの言葉がないかもしれないけど、よかったら利用してほしい。

 

では。