趣味の世界

興味のある事

時間はそれでも流れてゆく。

2015.3.2 火曜日 三月に入った。早いもので2015年ももうすぐ終ろうとしているのではないか。また早足で過ぎて行くこの季節感や、時間。。よく確認出来ない概念はまるでウチのオヤジのように生き急いでいく。鬱病になるなよ、、。と僕は未来のそいつらにフッと吹きかけてやる。そんな風しかふかせることの出来ない僕は無力だと笑われているはずなのだが、その笑い声は聴こえず、なんか代わりに前野健太がファックミーを旅館で歌っているサウンドだけが耳のこまくの中で響いている。まるで夢の中にいるような音響の設定に僕はやられる。どんな風にやられるかといえば、それはまるで、むかし爺ちゃんからくらった電気あんま?股間に足裏おしつけられ、振動させられるアレである。あれをされてる感じがずっと響いている。なんでこんな騒がしいのだろうか。もう3月じゃないか。そろそろ僕はお墓の中に入りたくなってきている。騒がしく生きつづける人間のことも、季節のことも、風のことも、小動物のことも忘れたいくらいなのだ。こんな夜は・・・。

土の中に還って、、、というか、僕は最初土だったのかな、なんて思考の途中で得意の寄り道をやってるわけだけれども、まあ、土な訳はないか、、とも思う。土の中にはそれこそ数えきれない生物の数が待ち受けているわけだろうけれども、僕たちは騒がしかった地上で生きてきたにもかかわらず、土の中に還って、さらに多くの生物が行き交う賑やかな場所へ向かうのだな、なんか変だなあ、、憎いなあ、、この世の中・・・とか思いつつこんな変な文章を描いている。土の中が嫌だというのならどこがいいのでしょうか?とギャルソンが尋ねてくる。ギャルソンというのは、飲み物や食べ物を運んできてくれる給仕係のことで、、(ここで僕は少しイヤホンから流れ込んでくる音のボリュームを下げる)僕らを導いてくれる存在であるのかもしれない。僕は土の中でもいいかな、、と考える。別に騒がしいのが嫌なわけではないし、騒がしい方が、恋人できたり友人できたり、語らったり、たまに一人で居たいから、一人一畳しかないトイレにこもって鍵かけて、設置してあるトイレットペーパーのちょっと外にでてる紙をみながら、妄想にふけろう。そんくらいがいいなあ、て思う。土の中はくらいだろうから、明かりも必要だろう。明かりがともった露店がならんでいて、みんな土をつかった陶芸とかしててさ、それで灰皿とかお茶碗とか湯のみ、洗面器までつくってる猛者もいたりして、それ、湯いれたら重すぎて持ち上げらんないっしょ!ってなノリで、会話して、笑って、お代はらって、僕は銭湯へ。なんて素敵かもしれない。買ったものは、もちろん湯のみONLYで。

扉を開けるおとや、閉まる音、木と木がぶつかる音は結構うるさくて、全然心地のよい音ではないんだけど、そういう音も聴けなくなるのかと思うと、やっぱりさみしいわけで。4足歩行するウチのイヌの爪が床にこすれる音だって、餌が欲しいと静かに寂しくさわぐ声だって、毎日のわずらわしいものが、これで最後だっておもうと怖いじゃない。というか、単に鳴きたくなるような、そんなサウンドで、僕はゆっくり呼吸している。アナタがどこを向いていたって構わないのよ、と思うけど、でも注目される瞬間は嬉しいじゃない。そんなことを考えていると、鳴きたくなる。こんな夜でも・・・。

だれもわかってくれない寂しさも、おそらく自分だけは、色んなこと感じていたなってことだけは僕は覚えている。自分だけはいろんなことを感じて生きてきたんだなってことをちゃんと覚えている。だから、そんな簡単なことではなくて、覚えているということがたんに不思議であるということであった。急にプリンの味を思い出し、そこから牛乳に連想して、どんどん連なって、ホットケーキになる。粉は自分で作れる人がいたなあ、とか考えたりすると、よく妹はいつもろくに料理しないくせに、バレンタインには彼氏にチョコレートを自作していたりして、すっげえ邪魔だな、、と思いながらも、そっとしておいて、、、。なんだか別に許せる感じがあって、それってなんだか不思議だなってまた不思議かい!とくる。そんな夜だ。。全てのことがどうでもいいって思ってたことが実はちょっと違うんじゃないかって、僕はまた問う。問うことで生きることが出来る。15日分くらい生きることができる。でも、その中でおこりうる様々な出来事にたいして、僕はまた連想ゲーム出来るいっぱいのワードを覚えたりして、勝手に自分で思い出つくってたりして、結局。いつまでたっても、この世界の匂いがこびり付いていて、やっぱり名残惜しい。お前が嫌いだっていってたアレコレは、こんな時に限ってはただの優しさでしかないんだもの。あっちへ行くということなんて考えて、こんな夜はちょっとしんみりしすぎている。

 

三月か・・早いものだ。今月も最小限のお金が稼げるといいなあ。なんて考えている。5万円。稼げると嬉しい。そのつもりで生きていこうっと。今日も今日で、創作したね。うん。ちょっと形に興味なんかもったりしてね、蚤の市を調べてたりしたよ。ドローイングしてたら、僕の描くキャラクターの頭の形がさ、どうもアレに見えてきてさ。僕は輪郭を気にしながら描くんだけど、形がアレなわけさ。僕はもう何十年とそれを見て生きてきたわけだけども、今更その形の素晴らしさに気付いたね。今夜。

そう、ペニス、別名"ちんぽ(こ)"ともいうアレだ。博物館?美術館?やらが愛知県にあるらしいじゃないの。僕はそれ知ってたんだけど、どうせ度スケベが建てたんでしょって感じだった。そのくらいのニュアンスしか持っていなかった。でも、今夜はなんかそれは早合点しすぎだったように思えた。馬鹿じゃないの!今気付いたの?ダサ〜。て声が聞こえるが、まあ才能ないから、僕は。ごめんね。で、僕はそんなことに気付き、ちょっとまだ自分のアレみてないんだけど、この後風呂に入る時にでも、じっくり見てみることにしようかななんて考えている。で、まあ、陶器が気になってね。昔の手作りしたものから、現在のちょっと進歩してるだろう工程でつくられたものまで、見てみたいなっておもっていて。僕は隣接した家の跡形が片方の家の壁面についてしまう現象が好きでね。あの跡形がすごくかわいらしいなって思うんだ。あの形が好きだなってところから、輪郭の不思議について興味が湧いてきた。絵を描くのに大事なのは輪郭だ!って教わったかもしれないけど、それじゃ説得力ないわけで。。もっと心の底から出会えたんだ!ってことがないとドラマチックじゃないでしょ。僕はドラマチックな出会いをして、それから輪郭に目が行った。ずいぶんかかった。ほんと絵を描き始めてからだと、7年くらいかかってんじゃないかな。で、いまチンポコへ向かっているわけだけども、、7年ね。やっとこさ、人生の相棒に会いにきた、、みたいなね、変な話。で、まあ、明日調べにいこうと思う。我が書斎、岡山中央図書館へ。コピー代、ケチらず使おう。それだけが僕の創作活動に必要な心持ちなのだ。やる気、努力、モチベーション!要りません。友人の山根はすべて大事らしいんだけど、僕はそういうの持った途端にうまくいかんくなって、悩んで、しぼんで、終るのでもう悩まない方向で。もっと花開く方向で愉快に、ホラふいて、でも、真剣で。そういう生き方がしたい。ずっとそれだけを想っていたい。

初詣に飲んだコーヒー牛乳の空き瓶が捨てられなくて、なんとなく自分の机の上においてある。花でも飾ろうかなって思う。なんか捨てられなくてさ。こういうのは職人がつくってるのかな。。なんでだろう、温かさを感じて、たとえば、飲み口のところの丸みとか見てよ。すごくやさしい角度でつくられてて、絶対傷つかない感じ。どんな悪口をぶつけたとしても、それはするりと交わして、いつでも優しく接してくれる余裕のある奴で。そんな感じの牛乳瓶はとても僕は愛おしくて、造形がやさしくて、いつでも僕らをうけいれてくれる。いつもすばらしいキスをしてくれる。そんな優しさが今、いちばん必要なのは自分だってこともよくわかってて、朝一番起きてつけるテレビがトゲトゲしくて、観る気しなくてうなだれて、今日の一日が始められない時は、牛乳瓶とキスしたらいいのか、なんて考えて。でも、本当は、、人間がいいな、、って思っている、僕は、、そんな卑怯な奴で、、。でも、でもだよ。お前の良い所はすごくわかっているからと、少しだけ、一緒に居て欲しいなと思う。ずっといてもいいとおもう。だからおれはお前を捨てることは出来ないのだろう、と思う。花を生けるならば、野花がいいなっておもうよ。二月の花は白いフリージアの花らしい。きっと綺麗だろう。あ、もう3月か。。やっぱり2015年、お前もすぐに逃げて行くんだね。おれも負けずに逃げ切りたい。2015番のゼッケンきた奴よりも早く逃げたい。でも、おれは良く寝るから、一瞬すごいスピードで走るけどさ、つかれて、寝ちゃうからさ、君に敵うようには走れないかもしれない。逃げ切ることができないかもしれない。もう、追いつかれて、先に逃げられちゃっているかもしれない。なんせ、君は早いからね。

蚤の市か、、神社やお寺でやるのが蚤の市で、フリーバザールとかは大きな公園の隅とか、駐車場とかでやるんだって、正式には。元々はヨーロッパ発祥?なのかな???とりあえずフランスではパリで主流だったらしい。イギリスやドイツでもたくさん行われているみたい。"のみのいち"という名前は、ノミの湧いたような古着が主に商品として流通していたことから由来してるみたい。また、ノミのようにどこからともなく湧いてくるお客さんや、商人のことを指しているのだとか・・。本物の語源は未だよくわかってないらしいけど。でも、そういったものを売るということからも、みすぼらしいとか汚らしいとかというイメージが付着しているそう。僕は最近、ゴミに興味がある。ゴミがゴミとしてみられないというか。。ゴミのような場所でも、ディズニーランドと同じくらいのパラレルワールドを垣間見せる瞬間がある。それがずっと気になっている。例えば、彫刻で削り取った木片などは、燃焼剤にもなるし、芳香剤にもなりうるかもしれない。乾燥させると肥料として畑にもつかえるかもしれない。そういういろんな使い方を考えてみるキッカケをくれるのがゴミなんだと思う。だから、僕らが普段気に留めもしなかったものに、気を留める行為ってのが非常に重要だなとおもうし、なにより楽しいと思う。生きるチカラもらえるっていうか、、、ゴミにだよ。ゴミを使って藝術作品を作ろう、なんてことではなくて、、。それは僕は反対だ。それはゴミをつかって、ゴミを生み出しているようなものかもしれないから。。というよりは、どうやって、ゴミをゴミとして見ず、実用させるか、その方法論に藝術を感じている。そこにドラマチックが潜んでいる。ぜったい。だから追求しなきゃね。もう、その答えは誰かが出しているかもしれない。でも、僕は僕でやりたいんだ。やってみたい。愛しいと思えるこの感覚の正体をつかみとるんだ。だから生きていけるのかな・・・・・・。

 

ちょっと違う気がするけど、、いいや、、笑