趣味の世界

興味のある事

まったく稼げていない。

2015.2.24 火曜日。起床午後3時。眠い。本当に眠い。一回朝10時に目を覚ますが、まったく身体が動かず、そのまま眠る。次に12時30分頃にまた目を覚ますことになる。しかし、身体が起き上がるにはチカラを使いすぎると思った僕は、また寝た。全くこんな日が最近しばらく続いている。次の日の予定の無い日は僕にとっては全部休日である。ある本のAmazonレビューでノーベル賞の受賞者や、芸術家の生活はきっとだらしないと思っているのかもしれないが、意外に思えるほどに規則正しいものであることがわかった。という内容が書かれていたが、僕はどうやらそういうタイプではないらしい。ずっと抜け切らないのが、この起きるという作業のとんでもなく苦痛なことである。予定があればスッと見事におきるのであるが、予定がなければ、身体に電池が入っていないかのように電源をいれてもピクリともしない。このこと自体、どう意味付けていいのかわからないのだが、実はただの時間ドロボウ的な出来事なのだろうか?それで片付けていいのだろうか?とこれまた結構永い時間考え込んでいた。

感覚としては、歳のいったおばあちゃんの家へ伺い、招かれた部屋のコタツでおばあちゃんとくつろいでいる絵が浮かんでくる。その空間ではガスストーブにかけている水の入ったやかんが、ぐつぐつと音をたてながら煮沸している。その音を聴きながら、コタツの中へ突っ込んだ足があたたまり、机の上につまれた目の前のみかんの山に焦点をあわせつつ、ウトウトしている自分がいる。しかしそろそろ、夜中の3時にもなろうとしている。僕もそろそろ帰らなければならない。おばあちゃんとの別れを名残惜しみつつ、僕は立ち去ろうと言葉をかける。

おばあちゃん、そろそろいくね。。

するとおばあちゃんは、今までの和やかな雰囲気を一瞬で崩した。

ん!!?もう帰るん?もう少しゆっくりしていかれぇ〜。まだまだおられえ〜。

僕はおばあちゃんのその言葉というよりは、おばあちゃんの言葉以外の何かに突き動かされて、そこにまだ居座ることにする。そうやって時間がさらに過ぎていく。。おばあちゃんに断りを入れることがとてつもない大罪のような気がしていて、僕は苦手だ。捨てられた子猫を放っておくくらいに苦手なのである。こうして、僕は目覚めると渋り渋って、結局午後3時という、人間時間で言えばもう半日終ってることに目覚めることになる。そろそろパートの交代時間とか、退勤時間とでもいえるようなそんな時間に僕は目を覚ます。

起きて、10歩歩けば気分はもう既に切り替わっている。まるで黒い液体に一液、ある液体をたらすとすぐに透明の液体に変わってしまうような、あのいかがわしい現象に非常に似ていると思う。個人的にあの一滴の液体が非常に危険物だとおもうのだが。そんな危険物を自身の臓物へと一液たらし、僕は起動する。つまり死に近づく。

僕の生活の最近のルーチンは、YOUTUBEさんを聴きながら、とにかく創作活動の一言に尽きる。なぜ創作活動するのか、良くわかってない。実は。ただ、絵が描きたくなるだけだし、文字が描きたくなるだけだし、物がつくりたくなるだけだし、漫画はなるべく描きたくはないが、描けといわれたからだ。

というわけで、今行っている創作物の紹介をしたいとおもう。

 

・思い出ノート

 

これは今年の二月へ滋賀県へ行き、大羽左膳さんに滋賀を案内してもらったとき、彼女から持っとけと手渡された滋賀近江八幡のMAPからはじまったと考えてよい。そのMAPを帰ってから眺めていた。そしたら、Twitterで出会った京都の不治さんのことを思い出した。僕は彼女?彼?どっちかわからないのだが、氏が計画した思い出を共有する文通をすることなどを思い出した。重要なキーワードは"思い出"。梅かよは情熱大陸で言った。これは芸術作品やけど、でもやっぱ私にとっては思い出やしなあ〜。と!そして、美術家である大竹伸朗は二十歳の頃ロンドンへいき、ロンドンのホームレスと出会う。そのホームレスはマッチ箱が大量に入ったナイロン袋を所持しており、彼は何故かそのナイロン袋に入っている大量のマッチ箱の集団、群れが色とりどりに輝く様子に魅了された。それからというもの、彼は毎日街を歩き、路上に落ちているゴミ、と僕らが普段呼んでいるものを拾い始める。それを普通に購買できる雑誌や本にどんどん貼付けていくスクラップブックを作り始めた。それは、まさに梅かよが毎日撮る写真と同じようなもので、毎日自分の感性を信じて拾い集めて貼っていく作業とリンクする。まさにその一日の思い出BOOKを全く違うことをしているこの二人は作っていたのだ!僕は創作と思い出がピッタリとうまく重なり合う瞬間を感じ、味わった。僕も一日の思い出を本に集めていきたい!と思った。つまり、創作の意欲がハンパじゃないという自らの力量を見せつける手段を得た。いい思い出も悪い思い出も、すべてひっくるめてそれは偶然でもあり必然でもあった筈である。そのような奇跡を収集する創作がたのしくないわけが無い。このように意味を見いだしつつ動く僕の小賢しさは笑っちゃうほど浅はかにも思える。まるで軽快なステップを踏み地面におちてるイヌのうんこを踏もうと躊躇せず僕は進むのであろう。良い作品にならなくてもいい。そんなの気になるくらいなら辞めた方が良い。ただ、続いて欲しいなと僕は思っている。

 

・1ページ漫画

 

この作品は去年、2014年の3月くらいからずっと描き続けている(一時期休んだ1ヶ月ほど)作品集である。主なスタイルとしては、その日気になった出来事や、ずっと考えていることなどが作品として表現されているはずである。中には主人公を自分としたものもあり、その作品はネット上へ公開してはいない。一日の80%のチカラを使わないと僕は漫画が描けない。とても悩むし、とても難しい作業。100個くらい描いたら辞めようと思っていたのだ。ただのチカラ試しのようなものであった。僕が漫画を描き始めた理由は、アニメーター、演出家になりたいという希望から、キャラクターと芝居というものを勉強しようと思って描き始めたのがキッカケである。だから特にこれを漫画表現として成立させたいという感覚は全くといっていいほどなく、ただ他人に褒められたらいいなと考えていた。丁度その頃、アルバイトが全く上手くいかなかった。レジスター役として販売員の一人としてお金の扱いをまかされては、失敗していた。現在のお金の概念は種類が豊富すぎて、複雑すぎて、僕は毎日家で練習していたのだが、つまり暗記して動作確認など一連の動きをインプットしようと試みていたのだが、それでも本番ではやはり失敗した。複雑すぎた。周りからはどうしようもない奴だ!ミスが一番多いやつだ!危険だ!といちいち騒がれた。何をするにもあいつは要注意だ!と騒ぐのだ。僕はとても窮屈になっていった。精神的にというより、物理的にも。居場所が全くない感覚であった。なんのために締めるのかわからないネクタイも僕の首を締め付けていた。殺すために。やはり何かが可笑しかった。今考えてもほんと、笑える。そういうことがあり、僕は社会に復讐しようと思った。復讐して仕返しして、それから握手だ、お前らちょっと可笑しいから、治した方が良いと思う所をおれがすべて羅列する。そう、それが表現という世界だった。それが漫画という表現手段だった。しかし、描けども描けども、ネームという漫画の下描きで困った。うまく、表現できない・・・。実力が足りないと思った。絵とかではない、もっと言葉にならないものを伝えたいのに、全然伝えられない感覚がずっともどかしかった。でも、僕はアニメ—ターになりたいし、絵も練習しなくちゃいけない、だから漫画を描いた。しかも、全く復讐とは違う漫画を描いていった。内容は結構適当だったとおもう。自分が憂さバラしできるような、自分の描きたい漫画。かっこよければいいよねってやつ。そんな自分の本心を押し隠し描き続けている漫画が薄っぺらいことくらいは自分だってわかっている。それは僕が薄っぺらいことしているから、当たり前だ。でも、そこから漫画という出発点が確実に始まっている。今も復讐の途中だ。しかし、もう復讐はいいのかもしれない。というのも、つまんなくなってしまった。僕の存在がすでに社会に対しての復讐である。染まらない、染まらず、染まりきれず、ただ居る。そういう輩など社会にとってはどうでも良いかもしれない。どうでも良い存在になれば良いのだ。最初から、あのネクタイを締めていた時代からどうせ、どうでも良かったに違いない。それくらいのことは理解できてきたよ、社会。1ページマンガは本当に自由奔放に描かせてもらっている。だれの、どこの連載でもない僕のただの漫画。僕の好きな漫画を描いている風見2さんが、お前は漫画を書き続けろ、と言ってくれたことから、僕は諦めることが出来ず、今も描き続けている。いつか諦めるかもしれないが、その時はきっとそれに打って変わる何かが閃き生まれた時であろう。なんともない、ただ、僕の漫画を好きだと言ってくれる人達とか、良いと言ってくれる人がいりゃ、僕というただの奴隷は動く。奴隷と言えど高みを目指す奴隷だ。僕も表現をうまくなって、本当に強烈な復讐ができたらそれはすごく良いことだと思う。でも、もう、いいんだ、そういうのは。何に、誰に、復讐したいのかさえ、概念が相手では到底立ち向かえない。今度はこちらが楽しむ番だ。ずっとそんなこと考えてる。

 

・絵(概念シリーズ)

 

きました。絵。少女病棟展ではありがとうございました。非常に楽しんで頂けたようで嬉しい限りです。出展者みんな喜んでいると思います。グループ展の参加を決意してよかった。すばらしい独自の感性を持たれた方々と出会い、本当に貴重な体験をさせて頂くことが出来た。日本、捨てたものではない!会え!会え!会え!!というほんと、会うしかないなって思いました。面白い人すごく居ると思う。

で、絵なんですが、これは僕が去年の10月頃から始めた絵のこと。何度もこのブログで紹介したゴミにパレイドリア効果という錯覚を利用した絵を描いていくというものだ。主に顔を描いてきた。今年の2月中旬まで顔を描いてきました。しかし少女病棟展を転機に描き方を改めようとする。青色さんの細かいペンドローイングや、サトゥーさんのこれまたペンドローイングに影響を受けて、僕も細かいペンドローイングを実践してみたく思った。そして、とにかく巨大な絵が描きたいと思った。今までは17cm*_14cmという小さなスペースに顔を描いてきた。そうではなくて、もっと巨大なレベルで自らの存在をそのまま魚拓のように、紙の上にScanできるような、紡ぎ、繋ぎという可視できない縫い目をするりと通り抜けるように絵を描きたい。そう思った。つまり見えない絵を描きたい。とも思ったわけである。見えない絵とは何なのか?僕は完全にアウトサイダーアートを目指しているわけではないし、アウトサイダーと決めつけられるのもよくわからない。だが、この見えない絵という概念は完全にアウトサイダーアートに近いものがある。と僕は感じている。今描いている概念シリーズとは、以前の錯覚シリーズとは違い、まるで良く見えない。つまり、目では伝わらない。それとは違うものをつかい読み取らねばならぬ言語にならぬ言語を音読するような通路を通って出力される、スメルを感じて欲しい。ただ、良い絵にはなっていると思う。し、やはり僕の気まぐれさがよく表されているとも思う。きっと、僕は壁に飾る方が絵を描くのよりも楽しみなので、飾った時にうぬぼれるのだろうなーと予想している。今現在では、A3サイズのケント紙に描いているが、もっと大きくしてもいいなと思っている。布にも描いてみたい。

 

・日記

 

最後に日記、、とはつまり、このブログのことである。文字を打つのが楽しい。自分の自らの匂いが香り立つ文章が良い。訪問者数はきっと少ない。アクセスは10〜50の間を彷徨っている。きっと少ない。けど、それが愛おしい。ありがとうございます。合掌。

僕はラッパーのGOMESSくんみたいになりたい。僕の方がずっと年上なのだけど。笑

ま、それは良いとして、このブログ、原稿用紙10枚という坂口恭平さん風ノルマ設定からくる目標を掲げて書いている。調子がいいときは15枚ほど書けることもある。特に何を書こうということは無い。ただ、創作とは思い出と根深くリンクしている側面があると言うことを知ったので、僕は思い出を新たな変化をくわえつつ、タイピングで打ち出しながら、それを読み上げ、さらに染料で染上げ、色の付いた原稿をそのままココへ書き記すことが多くなるだろう。そんな感じで、本職、愉快な詐欺師である僕はこのブログをサラッと書き上げられるようになるような修行の途中なのである。よろしくねん。

 

幼少のころ、先生と交わした日記が最高に楽しかった。僕だけかな?僕がその日あった出来事を書き記した日記を先生に提出する。小学校・中学校のころだ。数年間ほどずっと続けていた。赤ペンで感想が入れられて帰ってくるのが最高にうれしかった。それから僕は文章を書くのが楽しくて仕方が無くなったように思う。つまり思い出を書き記すことに価値を見いだしていた。既にずっと昔に。本当に日記が大好きで、しかたなかった。他の人たちは、今日日記かいてねえ〜〜みたいなメンドクサイ声をいちいち教室内へ放っていたような思い出があるが・・・・。僕は女の子みたいな側面があるのである。つまり創作するときはオンナになるのです。今、オンナなんです。ええ。どうも。えぐみです。女の子みたいな名前でしょ?名前の由来は、「苦み」と書いて、「えぐみ」と読むんだけど。ネ。。笑

 

そのくらい僕って苦いと思うのね。苦いもの飲み込むのって大変だと思う。でもそういう存在だなって本当思うし、感じるし。素直な名前なんだと思う。亮太って本名よりもずっと僕らしいなって感じた。オンナっぽいこともあって良いかなって。

 

でも、亮太もなかなかに良い名前なんだよね。

あきら、とも読めて、明らか、の意味なんだけど、明るいってことなんだ。

明るい、賢い、助ける、って意味があるみたい。

 

これ、初めて付き合った彼女に教えてもらったんだけど、すごく良いかもしれないって思えた。実際はそんな優れた人間ではないと思うし、違うけど、きっとそうなれる道筋は名前を付けられた途端に既に用意されているのだ、と僕は勘違いしている。名前の通りの人間にならなくてもいいけど、なれるように頑張ってみるってのはありかもね。基本は明るいですが、たまに暗いです。そんなこと言ってたら元も子もないか。笑