僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

よくわからないことが続く、はっきりとわかったつもりの世界にいる、ツマラナイはずの日常性と生活。

モラトリアムが抜け切っていない。そんな午後。わたくし江國えぐみは28歳と9ヶ月+23日になりました。おめでとうございます。ありがとうございます。今日も日常というパーティーを繰り広げている脳内は、何も考えていない。自らのことも、生活のことも、もちろんこれからのことも。ただ目の前に繰り広げられている静寂に対してだけ多少の敬意を払うだけである。突然音が転がり込んできて、居候させてくれというわけでもなく、常にこの正常でブレのない、一見つまらないであろう空間が、一瞬脳の誤作動という振動により揺さぶりがかかる瞬間。僕は人を楽しませるために生きているのだった!とかおもいつき、僕はそのまま花屋へ向かう。花など一度も購入したことのない洒落っ気のないタダの28歳と9ヶ月+23日目の男がカーネーションなんぞ買おうとしている。さて、ここで質問です!カーネーションを絵で描いてみてくださーい!とにぎやかな声を放ち、僕に問題を続々とおしつけてくる輩がみえる。僕は渡された何色かのマジックを持ちにぎったり、離したりしている。カーネーション?どうかんがえあぐねても、チューリップのイメージしか浮かばないわたしは、ある日このままではいけないとおもい、女を志すことになる。それはずっと先の未来である。依然僕であるおれは、黒のマジックを握りしめ、おそるおそる、チューリップの絵を描いた。恥ずかしいので汗だくの手を腹を纏うカラフルなシャツでぬぐい、絵を描いたクリップを伏せて提出した。

急に話しは変わるが、僕は28歳と9ヶ月+23日目のおれであるのだが、おれは何も手に職がない。手に職なんてカッコイイ言葉だな、なんて思う。まるで、手を広げるとその手のひらにトルネード、竜巻をつくれるんですよ。と見せびらかせることの出来る能力のように感じて僕はそれに憧れた。人を喜ばせることのできる能力。突然ですが、エッチの上手い男性にも憧れている。とても素直に人を喜ばせることが出来るのがエッチが上手な男性、女性というイメージがある。正直僕はそんなことをはずかしげも無く明かせる、ちょっと世間一般的にいえばおかしな人間であることは否まない。"えっちゃんが一番心配なんだよな。"と高校時代の友人はみんな僕に対してなのか、そこに居る空間に対してなのか、フッと投げかけることがある。心配してくれてありがとうございます。とはとても言えないような、お礼の言葉すらかわせない空気がそこには存在している。友人には手に職がないので、その空間をぶちやぶるくらいの人を幸せにできる超能力が存在しないのかもしれないな、なんて僕は今という時空からあの時、丁度あのときの空気へと4次元の乗り物(目には見えない。もちろん。。)へとのりこみ、観察する。僕はいつも心配される。しかし、友人は僕を究極の意味で助けてくれるわけではなく、ただその警告を僕にもらすという謎の言語を繰り出してくる。それよりも、僕は僕の感じているあなたとお話がしたいと思った。僕が感じているあなたはもっともっと素敵な人な筈なのだ。それを僕はだれよりも信じ切っているし、それが僕自身の自信であるとでもいうかのように、胸をはらず、だらりと自然の風にただ、舞っている。どうだ、無敵だろう。胸をはると、弾丸にうたれたときに避けきれず、膝からおちてしまうぞ。ひれ伏してしまう恐れを察知しているのだ。友人はそのことには全く気付こうとせず、ただ友人は友人が信じた僕を、そう解釈し、大きなお世話であるかもしれない、僕への未知を察知した言語を僕に投げかけてくれる。僕はその僕への未知という言語をイメージすることが、容易にできたのであろうか。僕はその言語に怯え、僕はその未来への未知へのイメージを脳内イメージとして彷彿とさせ、ケトルの煮沸能力よりも勝るスピードで水を湯に変えるマジックを散布させるほどの圧力が腹下の、ヘソの奥の方へとむかって静かに存在しているそいつを確認した。ごめんよくわからなかった。あるいみ僕は素直にいきているのかもしれない。一人になれば人はいつだって素直になれる。僕の女の部分が芽をだし、存在しない乳房をさわりだす。そんな意味不明の出来事があることくらいは、ずいぶん永くいきていればわかることなのかもしれない。しかし僕は僕が10歳くらいの時から進歩しているとは到底思えない。僕は現在28歳と9ヶ月+23日目のただの手に職をもたないオトコ兼、未来のオンナであるが僕は10歳の頃から何も変わっていないとふと思い出せば、そんなイメージの自動スキャンが起動しはじめる。未知からのささやき。お前は何もかわってない、と諭されるのではなく、自身の振る舞いから沸き上がり、感じる神秘的な優しさ、とでもいえばいいのであろうか、その優しさは母から頂いたソレではなく、昔の僕からの確かな優しさである。そんな瞬間が紛れも無く僕には訪れることがある。

空想家ですね。そんなことをおっしゃってくださる方がいるものならば、ぜひそう呼んでいただきたい。僕の肩書きはあなたがきめればいい。僕は名乗れるほど自信のある人間ではありません。むろん、手に職がありません。人を喜ばせるってどういうことなのかと、未だに彷徨っているただの男ですから。僕は以前、机上の空論家として名乗っていた頃がある。丁度2年前の話しである。その机上の空論家はどんな有様だったのだろうか、今では既に記憶にはない。そのようなものだった。名乗った所でそれは掴みきれないし、捉えきれないのではないだろうか、、という疑問が現在の僕の頭を締める、占める、湿る。ヒントという経験という熱の鉄板の上で濡れた布切れから発する蒸気によってその空間はおかげで湿度70%に達している。それが僕の疑問として昇華される瞬間である。つまり疑問が発生した瞬間、脳内湿度70%という異常な状態を回避させるために開ける、外界と内界とをつなぐ小さな丸いガラス戸である。カラフルなガラス装飾が施されている、そのキレイな扉を、キレイな女性が脳内工場を掃除する片手間にと、湿度のおかげで全身に汗を噴いた身体の一部である手を添え、そっと開けてくれる。僕はその女性に恋をしてしまった。まさに今。この文章を書いている最中に。そんなことも現実では起こりえてしまっていることに、またしても気付き、ただそれは妄想である以前に、幻の欠片という物体として僕はそっとそれを拾い集め、こうやって書きしたためている。大事に大事にしたい。

まるでそっとささやくような声色が、しっかりと聞こえている。その声は少しも緊張している様子は無く、ただ、その人が想う対象にむかってそっとささやいている。ただの優しいその男の声は僕の耳を通じて、音楽として僕のシナプスをふるわせる。ただ、ずっとリリックを聴いていたいとおもった。あなたのことばはそのリリックとずっと深く関わっている。ただ、見知らぬごぼうの商店を語るその声は、全身でごぼう店のことを考えている。優しい。手の先、指の爪までごぼう商店でそまりきった彼が口からはなつ、おちついた音色は、ただそこに存在しているだけでそれはただの優しい音楽として僕は認識してしまう。その瞬間、彼は手に職を持ってしまうことになった。僕はただ、居れば良いのではないか、、とおもった。

僕は他者の噓を発見するのが大の得意であるという嫌な性質を持ち合わせている。なぜ、そんな根拠のないことを?と人はいうかもしれない。それは僕が最悪な性格の持ち主であるということを、自分で暴露しているようなものだし、絶対的に変な人間としてレッテルを張られる、最大の弱点である。だれにもモテないし、モテようとしない人間です、と豪語しているようなものでもある。そんな不利な、しかし僕としては真剣に感じている部分という存在とともに、少し良い部分も存在しているのがわかる。僕は他者の良い所を発見出来る発見器でもあるのだった。つまり、人を敏感に感じとることのできる電波塔とでも考えてもらってよい。それは僕にとって別段なんの苦労も無く、感じとることの出来る、日常生活とレベルの変わらない所作であるので、知りたい人は僕と一緒にいてください。としかいいようがない。僕は全身を相手で染上げることが出来るのかもしれない。彼と一緒だ。さいとうごぼう店を歌としてリリックとして、よみあげる優しい声の主の彼と・・・。

そうであったらうれしいな、と半ば、本当かよ、、と頭にとりつけられた丸い窓から湯気を発する。つまり疑いを抱えながら、、自分で照れくささを演じながら。しょうもない、とはおもいつつ、それはいままで教わってきた常軌のレール、常識によって染められている部分で思うことである。本当は真剣にくだらないことを想い続けている。部屋からでると、その錯覚である感覚を現実に露呈しないように気をつけながら、動くことには間違いが無い。ケロリンとかかれた黄色いうつわにあついお湯をいっぱいに注ぎ、僕ははだかでそれを持ち、こぼさないように銭湯を出てゆき、商店街をそのまま慎重にこぼさないようにとじんわり歩き回ってゆく。

日記とは、今日の、つまり、ある男が28歳と9ヶ月+23日目のなんともないいつもと違うであろう景色を書き綴るための概念である。今日だけで、僕はTwitterのアカウントを一つ作った。オンナの自分という存在を思い出し、ベッド脇に置いている黒ウサギちゃんをおもいだし、柔らかい綿のはいったまるいプーさんの人形を追加しておいた。そして、花屋へともどる。そういえば、僕は花を買ったことがないのだけれど、あなたに二輪の花を渡したいと思っている。その花が何がいいのか、わからないけど。僕は花をただ買いたいとおもっていたし、部屋に少し立派な色で染まった一輪をさしても良いなってただ、思ったのだ。それもありえないくらい真剣に。そのことについてだったら、僕は即興でプレゼンテーションができるほどに。しかし、世の中の月曜日というのはみな、忙しい。僕は自殺者ににている。自殺者はちょっと違う視点をもち、ちょっと違う景色を見続けている。と仮定する。僕は朝から花のことを考えた。白がいいのか赤がいいのか、黄色と白が混じっているのがいいのか、と。その先には相手の喜ぶ顔だけがある。あのひと、このひと、あっちの人。どんな人に渡してみても良いかもしれない。と思う。でも、花は特別なので、誰にでもと渡すことは出来ない。そんなことを朝考えていた。おはようございます。

自殺者はただ目の前の広大な空と雲をみつめながら、きっと風が横を通る音を明瞭に優しく聴いている。風に全身を傾け、風とだけ会話している。真剣に風の声なんぞを聞き取ろうとしている。馬鹿げた話しである。風が喋るわけが無い。でも、、、、、。

 

 

風がしゃべりかけてくれさえすれば、この一歩を踏まずにすむのに。。とただ自殺者は全身を傾けている。まるでわたしは電波塔のようである、と自覚はせず。ただ。