趣味の世界

興味のある事

ぬいぐるみと僕。

少女病棟展、はじまった。2015年2月10日。晴れ。僕は滋賀の近江八幡駅へと向かっていた。僕は熱狂的?、いや紳士的な態度で躁鬱病患者、坂口恭平さんのファンの一人であった。患者、ではあるが、ものすごく頭の良い方で、日記文筆家であり狂言者であるとも僕は考えている人。僕は嫌な奴なので、大抵自分で他人の肩書きを変えたりする。ごめんなさい。申し訳ない。でも、坂口恭平さんを初めて感じたあの日、僕はデスクに向かって両耳に黒いイヤホンをつけながら、トレス台の光を顔面にうけ、ギンギンに尖った鉛筆で絵をなぞっていた頃だった。とあるラジヲを聞いていた。愉快な声、笑い声、異常な熱気、起こりもしない暴風を肌で感じた。この人は"恭平"と自分で名乗った。恭平、建築家、それだけだった。だが、たしかに覚えてメモしていた、小さな紙切れに、、。僕は仕事を降りた。理由は、ここじゃないと思ったから、それだけだった。仕事はもちろん出来ず、毎日怒られていたようなものだ。そして、自分が付いていけないことも薄々感じ始めていた。風が自分の中で巻き起こる様子がなかった。とにかく息苦しい、だれか助けてくれ、、と悲鳴を上げていたように思う。病院に行くとかではなくて、僕は僕の異常を明確に判定し、判断していたように思う。とても冷静だった。ある意味では。辞めることに慣れていた。離れることに慣れていた。僕はそういう人間に成長していた。だが、決して死のうとは思わなかったし、その前に僕は動ける人間だった、それだけだった。仕事で死ぬのは絶対に嫌だと今でも僕は思っている。絶望して死ぬのならもっと別の形であることも、なんとなく頭の隅に思い浮かべられる程度にはイメージ出来ている。それは僕を大事にしてくれる大切な人がらみのことであったりする。それが一番僕は絶望的だし、なにより、嫌だ。。と感じている。事故で亡くなった、、とかなら仕方が無いのかもしれない。しかし自分が自ら死を選ぶようなことだけは、、なんとか避けて欲しい、と思っている。全力でなんとかしたいと思うし、出来ることであれば助けたいのがホンネである。僕の初恋がそんな死にたい願望な彼女だった。外に出ることを嫌っていたので、僕は彼女の家を訪れていたりした。出会いのキッカケは当時よく出入りしていたチャットルームだった。僕は高校の頃、携帯も所持しておらず、特に仲の良い友達もいなかった。悩みを話したり、相談したり、ホンネをもらしたり、そういう相手はいなかった。その代わりに僕はPCでメッセンジャーというMSNのツールを使っていて、これでクラスメイトと夜中話したりしていた。そこでももちろん話しやすくはなったものの、悩み相談などのホンネは言えないままであった。メッセンジャーの機能に僕は憧れた。すぐさま、全く知らない誰か、、歳の近い誰かとメッセンジャーのような機能を使って連絡を取りたいと思ったのが高校二年生の頃だったと思う。その機能の呼び名をまず知った。"チャット"というらしい。次にその単語をつかって、検索をかけてみたりした。するとチャットルームというteacupという名目がついたサイトが出てきて、なんかいい感じだった。というのも世代や趣味、性格、好み、いろんな括りで分けられたチャットルームが多数存在していたからだ。僕がそれを使いやすいと思った理由としては、日によって気分が変わるから、、であった。今日は"硬派"のチャットルームだけど、明日は"軟派"な気分かもしれない。そういうこともあって、ものすごく気楽に使えたし、他の部屋もROMといって、入室しなくても垣間みれたりする機能があったので、覗き見できた。どんな人たちがどんな会話をしているのかがわかったので、入りやすいか、入り難いかが判断できた。例えば僕は当時高校生だったので、中の人たちがお酒の話しをしていると、まず入らなかった。逆に、何も話しておらず、人が数人いたりする場所があって、そういうところへ入っていった。自分が入ったことで、始まりがつげられるのであれば、自分が話題の主導権をにぎれるのではないか?といった狙いが僕にはあったからだ。そして、それは大体の場合成功した。僕はチャットでのコミュニケーション能力を高めていった。そして現実に帰るととてもドギマギしてしまうというような失態もあったように身体が覚えている。そう、そのチャットルームで僕が二十歳の頃にであった、二十七歳の彼女が死にたい人であった。

しかし、彼女は自分観察のための日記をパソコンでつけていて、なんとか希死念慮とたたかっていたみたいだった。かなり辛そうではあったが、闘っていたらしい。日記を僕も拝見していたのだけど、家族のこととかイライラしたこととかが主に描かれていた。幼少の頃から現在までの履歴を埋めていくような日記の形態であったように覚えている。僕はチャットルームで何を喋ったのかは、よく覚えておらず、とにかくコミュニケーションで笑いを取っていた。独特な会話術を自然に身につけていた僕は、チャットで人を笑わせるのが好きで、誰がきても笑わせようとしていたため、周りからの印象は非常に良かったように思う。僕は現実ではそんなに目立つ存在ではなくても、インターネットの中であればチャットという機能を使って目立つことが出来る。そういった少し現実の捉え方や見方を変えるという手段でもって、僕の人生を好転させていけた。僕の恋は大体インターネットから始まっている。というのは、大体インターネットで出会った人としか恋していないということになる。例外は一人だけいて、バイトで一緒だった末藤さんこと、スエのみ。

話しの軸がまたブレた。たまに、初恋の彼女は元気にしているだろうかと考えることがある。生きていてくれると嬉しい。生きているうちに別れて、連絡が途絶えた。彼女は結婚していた。僕は別れを告げられた後、ご飯がのどをとおらなかった。胃液で腹が熱くなり、内蔵が溶ろける感覚をはじめて覚えた。小説を描こうと思っていた。その頃から小説は好きで読んでいた。村山由佳の小説が好きだった。中でも"天使の卵""おいしいコーヒーの淹れ方"とか、当時の僕にとってはそれが、地に足がついている作品だったからかもしれない。他にも青のフェルマータ、他数冊読んだけど、どこか浮き足立ってしまったのか、どうも身に沁みない。僕はリアリストな傾向があった。たとえば僕は沖縄の海で泳いだことが無いので、沖縄の海で主人公が泳いで感じた感情などを拾うことが難しい。それを感じれるのは作者と主人公と、たいけんしたことがあるだろう読者だけなのでは?とおもっちゃう。でも、体験したことなくても言語化すれば、それをまるで体験したような感覚に、、なれたらよかったんだけど、僕はなれなかった。。そういうのもあって、具体的な名詞がちりばめられたあれこれのイメージはとても身近なものは良いけど、遠いものだとまるで頭の中は白紙状態になってしまう。それでは世界観に入り込めないので、イマイチ記憶にのこらないのだ。そういった理由もあり、村山由佳の地に足がついている作風が逆に仇となったモノも多かった。

 

とにかく、僕は小説を描こうとしていた。その頃からものを創作するということに確実に惹かれていった。二十歳の頃。大学の勉強はどうでも良かった。楽しくはなかったから。それよりも、このなんともいえない今の感情や、将来こうあったら良かっただろう未来の結果とか、いや、今の残酷な自分の姿を描きたい、ただそれだけだった。でも、僕は結局描けなかった。小説をかこうとすると、違う主人公の違う話しを描こうとしてしまった。直視できなかった。絵でいえば、自画像を故意にゆがめて描いてしまうのに似ている。見えている景色が描けない苦痛があった。僕が観ているのはその光景ではないのに、、、。。。そんな無念が胸につもった。小説を友達に読んでもらう。"意味が分からない、まったくダメだとおもうよ。でも諦めるな。また見せて。"と言ってくれたように思う。2、3人に見せてその反応。僕は例えばカフェテリアの外観気にしすぎて詳しくかき込むことだけに集中したり、主人公や登場人物がいつどこになにをしているのかばかりを表現しようとしていて、まったく伝えたいことが定まっていなかったように思う。でも、二つくらい作品は描いたように覚えている。フロッピーディスクにそれらが残っていると思うが、字数もすくないものだけど、僕は一生懸命に描いた。ひたすら吐き出すかのように考えながら描いた。何の取り柄も無い数千文字。僕はそのうち海外へと現実逃避をした。

海外は良かった。インドのカレーの味がいまも忘れられない。インドという国は自分の国かと思うくらいに飯もよかったし、トイレの開放感もよかったし、無造作に塗られたコンクリの中のシャワーもよかったし、なにより、枕が身体にフィットし肌にあった。

ぐっすり眠れる国、インド。快適だった。となりの友人はお腹をこわし、苦しそうにしていた。どうも合う人と合わない人がいるらしい。

 

そうして、僕はなにやら、過去へタイムスリップしているようだ。今日も思い出話に花を咲かせているわけだ。そういうつもりはなくとも、そうなってしまう。なるようになれ。この言葉が僕は好きである。でも、それは自分のエネルギー問題の話しでもあって、、。

死にたいを止めるのは非常に難しいことだと思う。本当にこれだけはとてもつもなく難しいことだと僕は感じている。普通の感覚で止められるような衝動でも無いような気がする。山田花子が死んだときも、岡田有希子が死んだときも、止められない衝動の中の自殺であっただろうことが想像できた。その理由の一つとして、その時の場所や状況がとても自殺出来るようなシーン、ふさわしい空間ではないところでのモノだったからだ。そこには時間も理由も場合も人も、関係しない、ただ、死との対面だけが目の前に迫ってきていたのだろうと想像出来る。だから、怖い。とにかく死にたい人は助けを呼ぶ訓練をして欲しい。そして、常に繋がるであろうライフライン(電話番号なり、ネット通信なり)を張っておいてほしい。助けを呼べる人がどんだけ賢いか、、、と僕は思う。助けを呼べるということは、全て気付いている証拠だからだと思う。僕には自殺年虜がない。クビをつろうとしたことが無い。飛び降りようとしたことがない。だから、、とかじゃなくて、その感覚はわからないかもしれないが、近づこうとしている。その感覚は自身と肉薄した死についてのとらわれとの歯車に少しだけ油がささってしまい回った時に、すっと落ちるブレーカーのようなものなのかもしれないと、おもっている。つまり、死とは偶然的かつ偶発的であるかもしれない。と・・・・。

意志をもったように思えていても、それは全くの別で、本当の意志ではないのではないか、、、と。

僕は少女病棟展でみたぞ。この目で。

 

やまもとり汰さんは自身の血まみれの作品の中でこう描いた。

 

 

 

 

 

生きていたい

 

 

 

 

 

 

僕はこの言葉がどんなに素直で、どんなに辛辣な叫びであるかを計り知れない。

けど、響いた。これが本音か、と。

 

だから、殺してはならないのだ。

どんな小さな声もころしてならない。

聞き逃してはならない。たまに聞き逃すかもしれないけど、それでも叫びであるならば、一生懸命ならば、聞こえる。こだまし、反響する。

 

とりあえず、少女病棟展に来てはどうだろうか?

 

主催のwall-handさんが病院をモチーフにしたギャラリーに仕立ててくれている。

ココは病院である。とひょうきんな僕は思い込めないのだが、才能のあるwallさんはまぎれも無く信じきっている。これもまた、イリュージョニストの為せる業なのだろうか?わからないけど、マジックも信じれば、夢。

 

現実は夢になり得るよ。きっと、その方が楽しいことは、君もわかっている気がする。