読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

世界が少し曇って見える

2015 2/7 起床午前12時頃。今日も二度寝の寝起き。一度目は9時くらいに目が覚めた記憶がある。携帯のアラームを4回設定していて、その時間帯が6時台に1回、7時台に1回、8時台に1回、9時台に1回の計4回。スヌーズ効果をつけているので、消しても15分間の間5分ごとになる。つまり一度の設定に4回は鳴るということになる。それらを全て消しつつ、寝ているのだ。右手か左手に携帯みたいな四角いものを握って、四隅のどこかに付属のボタンがあるのを探り、それを押してアラームを止める感覚を微かに覚えているのだが・・・。僕はそれを16回も押して止めているというのだから、、ちょっとした仕事みたいな感じである、、と改めて自分の不甲斐なさを感じた。結局アラームでは全然起きれないということが判明した。そもそも起きる気がない。バイトが明日あるとしたならば、僕は寝る前に必ずおきる!と暗示をかけてから寝る。寝るのも、3時間寝たら必ずそこからは半分意識を起こすという技術まで最近になって付き始めたくらいである。どうやら、3時間程ねれば、とりあえずは意識がおきていても大丈夫ということらしい。それが日常で出来れば良いのだが、その緊張感が全くない。明日、何の用事も入ってないとするのなら、僕はそのちょっとした逃げ場へとチョチョチョ……と音をたてないつま先小走りでもして、その小さな空間へと身体を埋めるのだ。卑怯者である。もうそろそろ僕は30歳になる。あと1年もすればまさに30歳である。30歳と睡眠時間は別に関係ないのだが、さすがにこれ以上老けたくない。自然に老けるのならまだしも、自分の怠慢が原因で老けていくのは耐えられない。実は、良く寝ると良くふけるという方程式が僕の中で成立しかけているところなのだ。えぐみ研究所が出したデータによると、そのような論文が描き上がりつつあるほどに睡眠は脅威になりつつある。いつだったか、確か一昨年の僕はそれほどまでに良く寝ていた。僕には夜中の3時〜4時に寝て、夕方の3時〜5時くらいに起床していた日々がある。あの頃は酷かった。母親もさすがにキレて、寝ている僕の尻にローキックをかましてきたりしていた。しかし、僕は起きれないと脳の誤作動によって、思い込んでいるものだから、起きなかった。身体が思うように動かない、眠い、ねてもねても眠いから寝ないといけない、ダメだ、、と思い込んでいた所がかなりある。と今思えばそんな感じ。確かに身体がだるくなり、思考がマイナスになるような抑鬱状態になればそのような感覚が徐々に顔を出し始めて、終いにはそのネガティブな思考へと完全に染まってしまうことになる。僕は身を以てその体験をしてきたのでよくわかる。今の自分が少し脳の調子が悪くてそうなりかけていることも、半分承知ずみである。だからこそネガティブに汚染されるわけにはいかない。予定をうめこんで笑っていきたい。こういう時に良く効く薬は"予定"である。普段家に居て、何をするでもない、絵を描いたり、飯食ったり、パソコンしたり、するのは別にいいんだけど、それをしなければならない状況というのは必ずしも作り出せない。。大竹伸朗さんみたいに、自分にノルマを課して動いていける人間であれば何も問題ないのだけど、そこまでのなにかしらの目標と熱意は常人ならざるものがあり、僕のような凡人には到底不可能であった。もちろん実践しようとした。アニメーターを志している時期は出来たが、今は別になにを目指しているわけでもなく本当に路頭に迷っている?はずである。多分。そんな自分ができることといえば、日記をつけることだったり(調子がでないときは書かない)、マンガを1日1ページ描くことだったり(最近修行不足で停滞気味)、絵を描くことだったりする。しかし、これらにノルマを付けることで自分の生活が少し活気を取り戻したにも関わらず、相変わらず起床時刻はかわらずおそかった。それでも午後3時くらいから午後11時くらいに起きれるような自分なりの成長はあった。自分が上手くなりたいマンガや絵の表現だったりを練習するという意味で毎日こなしてきたが、今思うに、ちょっと方法が甘い気がしてきている。努力の結果が目に見えないので、特にこれといって何かが変わった感覚がまるでないのである。これが非常に自分を厳しい心持ちにさせた原因かもしれない。嫌になるということはないのだけど、義務作業なので、毎日良いものを作ろうとする初心はどんどんうすくなってきてしまう。ようは、手抜きをしてしまう。いまでは手抜きばかりがうまくなってしまい、上手いマンガを描く力はそれほど無いまま、たいしたことのない1ページマンガを量産してしまったり、絵を描きまくっていたりしている有様である。そんな絵でも評価をくれる人がいたり、マンガも読んでくれる人がいて、僕は嬉しい。ありがとう。

だが、今日はどうやら、どうしても世界が曇って見えるようだ。思考もちょっと堅苦しさを感じてしまっているようで、ブログを読んでくださっている方には少し申し訳が無い。しかしこのように文章を打ち込んでいる現在、僕の調子はそこまですこぶる悪いというわけではなさそうである。日々時間が過ぎていく中で、次の瞬間の1秒間に何の意味があるんだろうかとか考える人はいないだろうけど、僕は今日はそんなことを考えずにはいられないような、タイクツの持て余し方をしていた。どうせなら、どうやってペニスを握れば気持ちよくオナニーができるのかを研究でもすればいいものを、僕はTwitterをながめながら、やらなければならないあれこれを目の前にして"うーうー"言ってただけである。28歳の男がその有様である。僕はこの後の人生の予定が未定であることに不安を抱きながら、メンヘラ展SPの様子をあおいうにさんのTwitterを観ながら、さらにどん底におちながらうーうー言っていた。するとwall-handさんがメンヘラ展SPのブログをかいて、それを読み、おもしろかったので、ファボを付けた。ファボの★は一応黄色に見えてくれた。銀色に見えたり、今日は紫と青と緑な感じだったので、とりあえずそのくらいの感じで僕はギアチェンジした。すると、脳みそは何をおもったのか、義務を探し出した。僕は自分がロボットだったら、、と感じることが、とくに落ち込み気味な異世界にきてから多くなった。つまり、あの工場のロボットはまるで映画、ダンサーインザダークのように小刻みにリズムを刻みながら、次々と製品が出来上がる工程である一部分を、創り続けているすばらしい生命体である。と派遣日雇い労働者のテイで作業服姿で工場のライン際に突っ立っている僕は感じていた。前髪を白い帽子の中に食い込ませて被っていたせいか、帽子をぬいだときに、生え際がとてもチクチクと痛かった。それと背中の背筋が張って痛かった。それと独特の機械と人が織りなすリズミカルパレード。それが工場の全ての思い出となった。僕は義務を探すようになった。困ったら義務を探す。そう、ここは工場であり、我は機械マン!心臓はとても働き屋さんである。

土曜日、志村どうぶつ園の番組で、はんてんをつくっている78歳のおばあちゃんを僕の二つの眼球と両耳は捉えた。彼女はせっせとうごき、電話をとったり、志村園長と話しつつも手を動かし、我は機械マン!としてはんてんを作っていた。羨ましいとすら思えた。人が生きるとは、まさに自らを機械として作用させてくれる貨幣経済ではない、独特的な変体経済にあるのではないか、と僕はまた現実に疑いをかけた。

土曜日、100円均一へ。ここのレジはいつも行列ができるほどにいそがしい。何故かその理由はわからないが、いつも、2列あるレジの片方のレジが応援のベルを鳴らすような繁盛店である。しかし決して繁盛しているように見えないのがこの100円均一の盲点。レジ空間と商品陳列空間の大きさの比重がまるで違うからだ。店の0,5%の敷地がレジ空間であり、その他の99,5%の敷地が商品陳列空間ということになる。僕はこれに驚きを覚えたことは特に無い。ただ、ココでは絶対働きたくないな、と感じただけである。そんなことをおもいながら、僕は今日も今日とてレジの行列に黙って並んでいた。ここの店の店員さんは一人新米がレジを打ち、もう一人ベテランらしき人がレジを打ち込んでいるのがいつもの光景みたくうつるのだが、ベテランはレジのキーを最早みずに商品の値段を打ち込んでいる。100均なのでいつも使うキーが同じなのかわからないが、間違えたらどうするんだ?とおもうくらい危険であるのですぐさま気付いてやめてほしい。接客を流しソーメンのノリでやらないでほしい。なぜか流しソーメンのメンみたいだな、自分って感じたのだ。

で、並んでいると、壁にパンフレットがはられていて、暇なのでそれを観ていた。

お堅いことがかかれていた。100円均一なので、消費税のことを詳しく説明していた。どうやら、消費税が変わるタイミングで値札を全て変えなければならないのだが、それが変え終えてない商品などもまじっているかも、みたいな感じだったように勝手な解釈をした。真実はよくわからない。僕には難解すぎて、列の前の人が2人くらい居たにも関わらず、そのパンフレットを読み終えることができなかった。帰り道、、僕はこの100円均一では絶対働きたくないな、もとい、働けないことを確信したのだった。

 

今日はすこし風が冷たい。それはいつものことだったりする。

 

機械マンはすこし現実を誤摩化した。