趣味の世界

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◯◯ぶろ、または、風呂(フロ)

2015.2/5 起床午後1時30分。2度寝した。一回目の起床は午後1時12分くらいだった。なので大した二度寝ではない。今日の天気がまず起きて気になる。しかし、僕の部屋は大体サーモンピンクのカーテンでぴしゃりと外界と遮断されているため、まったく外の状況が把握出来ない場所である。部屋からでて長さ4mくらいある木造の廊下を歩く。フローリングなのでちょっとテカっている。そのまま階段で下に降りる。確か階段は14、5段あったと思う。思いついたら数えて上ることがあるのだ。だから、どのくらいの高さの場所で寝泊まりして住んでいるのか大体わかる。1段の高さが15cmくらいだとしたら、15*14=210cm 高床式なので50cmくらいプラスして、260cm、大体3mくらいの高さのところで寝泊まりしていることがわかる。僕は家が燃えたときの想定を時々やる。そうだな、一年に4回ほどする。その想定でイメージしている映像作品を説明してみたいと思う。まず火事に気付く。それは火事でモノが燃えることで有害な煙が自分の部屋まで黙々と舞ってきたということである。僕は何故かいつもその時自分の部屋に居るという過程しか想像しない。大体寝る前に想像することがあるからかもしれない。とりあえず、火事が起こる。そしたら、すぐに北側の窓の鍵をあけ、外界との交通路を開く。そうすることでまずは呼吸を整える。そしたら、すぐさま、金もの、例えば貯金箱を小さな庭へと放り投げる。ちなみにその庭はこの家の土地なので、よそに迷惑はかからない。何故かそういうこだわりが僕にはある。よそに迷惑かけることが何より恐怖だ。これは幼い頃からそうだから、まだ直ってない悪い癖みたいな感覚だ。別に迷惑かけたっていいとおもうし、その方が生き易い。毎度の挨拶がしやすくなって、風通しがよくなるのに、と思うほどである。まあ、とりあえず、金目のものは投げ落とし、後は文通した手紙も要るので投げる。死んじゃったペットの写真も、最近ウチの中で拾って置いてるウサギの人形もなげる。おっと、煙がせまってきた、やばい。そろそろ僕の身をなげださなければならないのだが、そのままいくと骨折や骨が皮膚を貫通する可能性を考えてしまう臆病者なので、そのままは行かない。僕の部屋は家族の布団を仕舞う場所でもあるのだ、後は衣類など衣替えが行われるたびに、忙しなく家族が出入りする部屋でもあるのだが、とことん布が多い部屋である。僕は布団をなげだす。できるだけ飛び降りた後のショックがやわらぐようにどんどんなげる。結局、高さが1mくらいになったら、飛び降りる、という想定をしている。飛び降りるときは、自分も布団にくるまって飛び降りる。念のため。

実際火事になって、そういうことができるかといえば、NOだろう。とにかく僕は物忘れが激しい。忙しくしていると目の前のことしか処理しきれず、次することをすっぽかしていたりする。だから身投げするときは裸かもしれないな、なんて考えている。

100%成功する防災訓練などないのだ。

次に起こる、または、行動することを常にイメージしながら動くことが出来ない僕にとって、逃げることでさえ難しいだろう。もしかしたら、貯金箱わすれてしまうだろう。たぶん1万円くらいしか入ってないものだけど。。僕が高校1年生くらいの頃から貯めている貯金箱。ほとんどモノをかったおつりで構成されているそれらのコインは一円玉のアルミと、5円玉の鈴?よくわからないが、10円玉の銅たちである。たまに気分がいいときには100円玉、50円玉をいれたりすることがある。500円玉専用の大きな貯金箱なのだが、一度も500円玉を入れようと思ったことが無い。それは僕の収入に如実に関連していることでもあるのだろう、と少しぼやくこともある。

 

フロで展示のことをかんがえた。少女病棟展のことである。もう日が近い。本当に近い!

まだ1週間くらいあるっしょ、、くらいの感覚でいるのだが、大丈夫なのだろうか。それに最近創作意欲がだんだんと減ってきている?ような感覚も覚えてしまって大丈夫だろうか自分。。的な感傷に浸る様子が多い。そんなときは、感傷に浸りつつ、乾麺をとりだし、即席ラーメンを食べる準備を始める。インスタントラーメンというよりも、即席ラーメンと呼んだ方がなぜかおいしそうな感じがするのはなんでだろう?とすごく面白そうな発見を今思いついた。まあ、いい。創作意欲が減ってきているような感じがする詐欺?にあっている話である。

僕はそんなことを考えつつも、こうして文章を創っている自分がいるのでそういうふうに思っている自分を擁護しようがないし、する気も起きない。すまん、少し前の自分。ただ、インスタントラーメンの件はおもしろかったよ。と褒める。

あとでコーヒーをつくってあげよう、おいしいやつ作ってあげよ。自分へのご褒美である。こういう得意技をもっている人ってとっても素敵じゃない?って僕は思うのだけど。自分の可愛がり方を心得ている人が愛しくてたまらない。僕はそういう人を好きになるという確信がある。付き合ってください。

 

好きな人というと、最近、、一昨年の10月くらいから写真家の梅かよさんが好きだ。情熱大陸をみてから、なんだかいいなって感じた。梅かよさんは故郷の、、どこだっけ?東北の方。。が似合っていると思った。地元に帰った時に雪の上を歩く姿が印象にのこっている。家も木造の築60年くらいの古い大きな家で、じいちゃんとばあちゃんがいて、姉妹も居て、いろりを囲む。沸騰し、湯気がでる鉄製の急須、茶をしばく。なんかすごい良い空間を見た気がする。雪国の美しさが似合う。そして少し味のある古風な感じが似合う。なるほど、僕が憧れるわけだ。僕は立ち並ぶビルに合間に居ると、どうしても緊張し、身体がこわばってしまう感覚におそわれる。しかし川沿いに行けば、空間が一気に広がるので、何処に居ても風が通るような感覚を覚えるのだ。おそらくそれは周りの家や木や、植物、川と鳥たちが生き物だからだ。まるで、自分の家に要るような落ち着きがあるし、どこにいても、それらの話し声が反響し、こだまする。それらの声を僕は聞き取るわけでもなく、聞き流しつつ、ふう、、とため息なんかついて、仰向けにして寝ころぶのだ。その話し声が楽しそうに響いているのを僕は肌で感じ取りつつ、目をつむる。暗転した目の前に新たに新鮮な映像が流れ始める。僕はそのように川沿いの空間を想っている。ビルの喧騒の空間というのは例えば横断歩道が多すぎて、カクカクしたロボットのような動きしか出来ない。つまり、機械にならなければならない。自らが人間だと気付いてはならない。僕はロボットである、、と無意識に意識しなければならない。喋ってはならないが音楽は聴いても良いかもしれない。目を開けていなければならない。かぐわしい香りが近づいてきても、釣られてそれを追ってはならない。足下は見てはならない。不注意は事故のもと。安全第一。危険に注意。だからストレスが溜まりやすいのかもしれない。

 

とにかく展示が近い。色々考えてみる。普段しないことをしたくなるのが僕の変な理性。特別なことをしたくなってくるのだ。特別な時に特別なこと、別に悪くないと想うのだが、別に僕はそれが誰かの役に立ったり、喜んでもらえるという自信があってやるわけではなくて、自分が面白そうだと判断したからやるだけなので、すごく変な感じなのだが、なんかやりづらさを感じて、わくわく思考を引き出しに仕舞ってしまう。

 

でも、やはりヘンテコな空間を見てきて魅了されてきた僕はやらねばならぬ。楽しいと想えたことは実践して伝えてみようとしなければ、、。僕にとってはそれが自然なのかもしれない、と少し思えるようになっている。展示会場って言うのは現実からかなり離れた空間であるはずだ。僕は現実に存在しながらも、現実離れした空間を知っている。現実にありながら、現実離れしたモノを知っている。それらはいつも僕を戸惑わすどころか、たのしくしてくれる。そいつらに感謝。そしてそれは自然が生み出したものではなく、人間のもっとも自然な自由な発想と偶然が、行動が生み出した産物であることを忘れてはならない。

人って実は素敵だよ。