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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

ランチタイム

2015 2/4 起床8時10分頃。めっちゃ眠たい。というか起き上がれない。しばらく寝転がっていることにした午前7時。転んでいるとまぶたが重い。なんども閉じかけてくる目を一生懸命、瞼を上へとやり、目をひらく。そんな感じで8時。意識が朦朧としている。まるで死に際のような今日の朝だった。死に際に思い浮かべることと言えば、いつも、もっと寝たい、眠い、という淡白な情報のみ。死に際ってこんなものなのかもしれない。あっちにいけそうなら、あっちへ行った方が楽なのだもの。こっちへいけ辛そうなら行かない方が楽だものね。その根拠が28年生きてきた僕は良くわかる。楽な道を取りたいと人は思うものなのだ。気持ちのいい晴れた空の下で寝ころんで気持ちいいのと、土砂降りの寒い雨の日に寝ころんで気持ちいいのとではどっちが良いか、、考えればなんとなく、いや、、はっきりとわかるものだと思う。それでもわからない人はやってみたら良いと思う。実践することはまことに意味のある行為だと思うから。

 

今日はからあげと、ちょっと固めの白ご飯と、ナンとインドカレーが食べたくなった日でもあった。病院のショートケアで小会議を開いている時、思わずプリントの余白に落書きした。

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パンとコーヒーも食べたくなったらしい、すっかり忘れていた、いけないいけない。

しかし、すぐに現実が僕の背中をつついた。お店でたべるのかい?と。。

お店で食べるとすごい出費かさむね、大丈夫?お前、お金あるのかい??残念だけど、今日はやめておいたほうがいいんじゃないかな?

現実というのはこのようなささやきを繰り返し僕にぶつくさぶつけてくる。僕はそしてその通りなこともよくわかっている。お金がないのだ。どうしようもないのだ。からあげマジで食いたかったばってん!!って、、言いたかっただけだった。

 

 

 

 

 

おれのからあげの気持ち返せ。

 

 

 

 

今日の空は青白かった。100円均一にいき、つぶつぶ空気パックをかった。何かわからない人がいるだろうから、説明すると、引っ越しとかで使うクッション材のことだ。空気の入ったブツブツさんのことである。あのブツブツさんを100円均一ショップで購入した。3つかったらほっかほかな気持ちになった。300円で袋もすこし大きめのビニール袋である。ほっかほかだった。ほっかほかになった心は店の外に出ると、冷たい風にさらされて冷えていった。僕は世間の冷たい何かをものすごく感じて凍えそうになった。ほっかほかの暖かかった思い出があるほどに、冷えきった風を浴び、だんだん冷めていく様子を感じてしまうと、どうしようもなく冷たくて、いままでガマン出来てた風がガマン出来ない風として認識されてしまうのは何故なんだろう。もっともっとずっと冷えきって感じてしまうのは何故なんだろう。僕はほっかほかな筈のビニール袋と心を携え、青いフレームのダサい改造チャリンコにまたいだ。

 

病院で買ったイチゴクリームの中にチョコチップが入ったナイススティックという菓子パンが僕の唯一の楽しみとなった。僕は旭川の河川敷へ向かった。海女の家があった。見慣れた道を走っていた。川の横堤防があり、その堤防沿いの集落である。いつも通りの見慣れた風景だった。橋の下幅5mくらいの短いトンネルもいつも通りにくぐった。僕はリサーチしていた。ココの空気が好きだ。雰囲気が好きだ。ココは僕にとってのディズニーランドである。住みたくないけど、また来たい、何度でも来たい場所であることを僕の感性は冷静で情熱的な判断を下していた。面白い光景しか僕の目に映らない。どういうことなのかはまったくわからない。その周辺の人々がおりなす生活空間が岡山でもどの街の人でもない、夢市の人々であるからだと僕は勝手に認識している。完全に分裂していると認識している。統合失調集落とでもいえばいいのか。病気ではなく、これは味である。焼き芋を焼いているおやじがちらりと僕を見た。その活かしたおやじの横には"じゅんびちゅうです"と屋根のかかった木版に墨で書かれた達筆な字に、おやじの分裂病をみた。明らかに質のいい木版に全てひらがなで、習字するこのおやじの家はどう見てもプレハブだ。プレハブに住む、やきいも老夫婦は今日も焼き芋を作っていた。とんでもない麻薬の甘い香りを放ちながら、自宅のプレハブの横にはSM仕様のLOVEホテルがあるにもかかわらず、おやじは今日も甘い麻薬の香りの正体である、焼き芋をホクホクと燻製していた。警察に捕まらないように、気をつけろよ、、と僕はジュワッとした化学反応によって、涙袋に塩水を沈殿させてしまうことになった。

ふと、横に道が逸れていた。話しの道も逸れていた。だが、僕の眼は目の前の、正面の光景をキチンと捉えた。青い大きな葉っぱが、顔面よりデカい幅広の葉っぱがちらりと揺れた。"来い"と僕を呼んだ。行った。

 

犬がふさふさの身体に顔を埋めて寝ていた。昼間の陽が射し、温度的には36度だった。湯加減的にはちょうど良かった。そういえば、小さな家の玄関に繋がれたその犬は、その昔、僕らの家の付近を徘徊していた、ロッキーという白と茶色のフサフサの犬に似ていた。ロッキーは僕の中では死んでいない。ロッキーは消えた。ゆっくりと、だが、確かに確実に、消えた。そういうことがわかるだけでいい、と人生の先輩ロッキーは教えてくれた。

 

そこには海女の家があった。白い長靴が庭先においてあり、白と黒のガラスの丸い花瓶に二本の白い百合がさしてあった。その百合はアスファルトの地面にむけて、少しうなだれていた。植物を植えていたであろう、茶色の陶器製の鉢や、プラッチックの白い横長の鉢が無造作に置かれている。庭先に。

僕は勝手に海女の手袋を探してみた。無かった。

 

ただそれだけだった。だけど、家の目の前に広がる陽射を反射する旭川が、旭海にしか見えなかった。それが何故なのかわからないけど、目の前にあるこの家は海女が住んでいるのだと僕は決めつけた。きっと、貝をたくさん穫っているのだ。ちがったからといって、僕は困るわけではない。事実は違ってたって、ココは海女の家なのだ。僕はそれが妄想ではないことを確信していた。お前も統合失調したのか?と言われそうだ。そうかもしれない、だがそうではない。場所の題名とは、自分で付けるものだ。その中のストーリーだって自分で付けられるものだ。これは統合失調ではなくて、現実失調であるだけなのだ。統合はされすぎていて、ギンギンである。僕はいつも統合されている。ただ、現実を失くすことが多い。ただそれだけなのだ。。

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