趣味の世界

興味のある事

2015 1/21

起床朝8時30分。

今日はコミュニケーションプログラムの日。精神病院へ。発達障害(高機能自閉症)を抱えている人たちとの社会生活に向けての講習会のようなもの。去年の11月〜今年の3月まで実施する比較的長いプログラムである。

今日のプログラムの前半で、ジェスチャーゲームというものを初めてした。

ジェスチャー、手振りや身振り、表情などだけで相手に何を示しているのか伝えるというゲームだ。

それをやるよ〜と臨床心理士の西村先生が言うのを聴いて、苦手だ!!と一瞬たじろいだ。

 

昨日、交通量調査で手に入れた給料を使ってイトーヨーカドーで買った気に入った服を着ている僕の浮かれた気持ちは、そこでいきなり空気が抜けてしぼんだ感じがあった。

しかし、そういう時にこそ僕は楽しくなったりする変なやつ。

どんな内容のくじを引くだろ?って次の瞬間には考えていた。

 

臨床心理の赤澤先生がランダムにくじが入った箱に手を突っ込んで、がちゃがちゃとやっている。どういう感じでゲームを進めるのか例を見せてくれるようだ。

赤澤先生は演技がうまく、表情も豊かですぐに何をしているのかがわかった。

他の発達の方たちも表現力があり、素晴らしかった。

僕が演技の何が苦手なのかといいますと、表情表現が特に苦手。

ギターを弾いていることを表現してくれっていうものだと、簡単なのだが、そこにロマンチックに!とかさわやかに!など雰囲気をつけたしたり、ハッピーな感じで!など・・・すごくやりづらさを感じる。

というのも、僕は大体家に居て、しかもリビングの机にパソコンおいて、椅子に座ってぼーっと無表情にPCを眺めていることが多い。

話し相手はSkypeで探すことが多いし、実際に対面して会話をしたりする機会がほぼ無い。月に1、2度あればいいくらいかもしれない。

基本的に一人で居ても大体平気で、好きなのかもしれない。だが、そばに誰かが居るような雰囲気を醸している空間に身をおいてないと寂しい。だから実家にすんでいるのかもしれないし、ずっとリビングにいるのかもしれない。

 

長くなったが、僕がジェスチャーする番だ。

僕が引いたくじは"驚いた表情"だった。

""おいおい、むずかしいなぁ〜、もお〜〜〜!!""ていうのがホンネであった。

難しいよ!と、ついくじの中身を見て、言葉が漏れてしまったくらいだ。

 

とにかく何かシュチュエーションを用意したほうがいいとおもい、僕はびっくり箱のイメージをつくった。

「箱を開けてしまってビックリする」という演目の課題が僕のミッションとなる。

緊張の末・・結局のところ、まるで、ますだおかだの片割れ、岡田さんの持芸"わおっ!"のアレのような演技をして、とても恥ずかしかったのだが、、。

 

無事、赤澤先生が言い当ててくれて、僕は救われたのだけど・・。

 

こういうゲームは楽しいものだ。イメージを作り上げる作業は"モノ作り"そのものだと僕は思う。頭を働かせることに人は快感を覚えるのだろう。そういうことを他者とコミュニティすることで、自分が爽やかになってゆく感覚を覚えた。

 

僕はそのまま風になり、とんでゆけるはず、、スピッツの歌詞みたいな気分だ。

 

小学生や中学生の頃の授業についていけなくなる感覚、止まっている感覚を思う。考えない授業は、自らが風になる瞬間を止めてしまうことと密接に繋がっているのではないか。

もっと身軽になる方法を人は楽しまなくちゃ、生きている意味ないのかもね。

生きている意味ないっていうのはちょっと大げさかもしれないけどね。

 

その後、社会生活の中で自分のことを伝える方法"うまく断りを入れる"ことについての講習を受けた。

病院の帰り、図書館へ寄る。無意識に図書館に寄ったときは図書館で一冊興味ある本を適当に取って読んでみる、みたいなことを決めていたので、少し居座る。

しかし風邪気味ということもあるのか、非常に眠かったので芸術新潮(フランシスベーコン特集)と沖田×華さんのマンガを一冊借りる。フランシスベーコンの絵、すなおに脳みそに響いてきて、想像力を高めてくれる。イイ。沖田×華さんのマンガ、図書館においているんです!沖田さんの体験談を元にしたマンガを借りたのだけど、ほんとうにそんなことある!??という経験をされてるので、インパクト大。みなさんもぜひ。発達障害関連であることもあってか、図書館においてたりします。

 

帰宅。昼ご飯に父さんが弁当(弁当屋自営業)を置いてくれていたので、それを食べる。

数日前のお昼ご飯には白飯に石が入っていたので、白米を食うときは、かなりビビりながら口に入れて食した。飯の中で石を噛み砕くあの感覚が僕はとても苦手で、嫌いだ。

だからシジミもたべない。

 

午後からは、映画"ダンサーインザダーク"をニコニコ動画で観る。

絶望の感覚を味わいたかったので、検索したらこの映画がイイって出てきたのだ。

僕はこの映画に非常に愛を伝えようとしている姿勢を感じた。愛の映画であると思う。

絶望的なのは単なる物語の進行内容であるだけで、最も表面的な部分として語られているのかな?と。。

進行内容と映画の目的はまるで違うのではないか。。この映画を通して僕はそんなことを確認出来たと思う。

少し検索すると、この映画の監督さんは鬱病だったらしく、それが僕にとっては"なるほど、、"と心持ちしっくりきた。ちょっとした理解の風がふき僕の体内に香った。

シンパシーを感じた。

言語化しはっきりさせる以上に、あるキーワードを自分の中にインサートした瞬間的にしっくりくる感覚というものの方が僕は信じられる。映画の目的とキーワードである愛を感じたその瞬間に、監督の人間性のニュアンスがふわっとおりてくるような感覚。そしてそこに鬱病という症状が隠し味として含まれていること、制作時にどうしてもでてしまう作り手個人の性質や要素が映画全体に流れているのだ。映画を観ていて特別な瞬間が流れたその時、僕はその映画の独特な秘め事であるかのごとくしとやかなツンとする香りを鼻で吸ったのだ。その映画が伝えようとしている景色は、僕たちが普段日常的に感じているが、非常に見え難い部分であり、その見えにくい部分の沈殿物を掘り起こしてくれるのが、芸術作品であるような気がしている。

既にあの時感じていたけど、忘れて沈殿している感覚を呼び戻そう、という試みが創作には絶対ある。それは人間が忘れちゃ行けない根源的で原始的で、感謝の態度への回帰。僕らはこうしたかったんだ、という想いから、もういちど現在の自分たちを人間と動物に回帰させる大事なことなんだ。

 

その後、夕飯。豚肉とちくわの生姜焼き、キャベツとツナのコンソメ煮、コールスロー、白飯を食す。

母の作る夕飯は大体健康志向なものがでてくる。ありがたい。

最近外でうまい飯をたべていないので、近々インドカレーでも腹一杯食いに行きたい。

このあいだ、Skypeで話した方に絵を見せてて言われたことが、"もっとおいしいものを食べた方がいいよ"というアドバイスだった。幸せな絵を描くためには、まずお前幸せな気分味わなさいってことなのかなと解釈。素敵だなって思った。このアドバイス僕好きな感じ。素直に従ってみます。