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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

少女病棟展

また思いついた、、途端・・。

 

ダァーダダダダダダダダ!!!と想像した映像が頭の中を駆け巡る。

僕は忙しいのかもしれない。

 

今年の二月(二月十日〜十五日)まで開かれる展示会「少女病棟展」へ向けて、自分のスペースをどのような空間にするか、ということを考えている。

 

ただ傍観・観察するという、お客さんがモノを観る強さにも惹かれるものがあるが、やっぱり創作者であるからにはお客さんをこちらから招いて導かせたい。

短い会期期間の中でどれだけ客体の興味を引き寄せられるのだろうか。

 

見せる、という行為と同時に、そこはパーソナルスペース、個人領域へ巻き込むことができれば、お客さんは宇宙へでも飛ばされたかのような経験を得ることが出来るだろう。

そんなことができたらどんなに素晴らしいだろうか。

 

僕は夢を見る。"想像"という脳内空間を彷徨う夢である。

見せるということは巻き込むことである。

ただ、見せることができる程の強力な引力をもった絵画ならまだわかるのだが、僕の絵がそのような引力を持っていること、持つことを自分自身が信じられていないのではないか?という疑いも同時に生まれてくる。

 

しかし、その簡素さがまた僕らしさを表明しているような気もしてくる。

僕の部屋に初めて入る友人が戸惑う感じを容易に想像出来る。

落ちつくわけが無いのだ。

人の部屋とはそれほどまでに異空間を生み出している。その人の趣味趣向というデザインを独自の方向感覚で組み立てた建築物、いや時空こそがオリジナルという言葉に集約されるのだ。

 

すくなくとも展示会場にこられた方がたは戸惑うだろう。

戸惑いは疑問をうみ、自らの問いへと問題を昇華させてくれる大事な要素だと思っている。

 

こちらから手を差し伸べるまでもなく、空間をただ作ればそれに戸惑いつつ、冒険してくれるお客さんがいることを心の底から望んでいる。というか、"そうなる"と思う。

 

ただの友人の部屋へお邪魔する感覚で、展示会場へきてほしい。

そしてただ、戸惑って欲しい。

そして、その匂いを気に入ってくれたら展示は大成功なのではないだろうか。

作品を飾る、見せることも含めて、空間を創出することが展示の目的ではないだろうか。

と僕自身は考えている。

 

だから僕はいつも忙しく夢を観ている。

 

どうしたらいいのだろうかといろいろ掘り起こしては方法を見つけているが、正しいのか正しくないのか全くわからない状態である。すべてやりたいけど、それが本当に自分という人間を有意識ではなく無意識として提示できているのかが謎だ。

 

例えば思いついたことでいえば、1000円札を自分の絵と交換出来るチケットとして配布するもの。1000円札の刷数ナンバーを控えておき、そのナンバーをもつ1000円札のみ自分が描いた絵画と交換出来るという仕組みである。

 

皆さんが知っている通り、1000円札とはたとえば缶ジュース10本と交換出来るチケットでもある。腹が減っている人は食べ物とそのチケットを交換するだろう。

 

ただ、ナンバーを控えられたチケットならではの限定での使い道、そのチケットの必要性と可能性を広げてあげることで1000円札という貨幣は自らの価値観を変え、ものの見方がその場で変わることとなる。

これは宝くじや馬券と似ている。

 

当たっていればそれは交換チケットとして機能し、我々にとって凄まじい価値観の変化という魔法をかけてゆく。そして、"魔法"なのである。魔法というものは一時的なものだから、急激な変化を我々にもたらせしめるのだ。

魔法は解けるから、魔法。

 

なかなかおもしろい試みだと思う。

しかし、これがお客さんのストレスにつながらないかという疑問も生じた。

無為な1000円札という現在の社会では価値のある貨幣というのは、黒魔法にもなるのだ。僕はそこらへんに落ちている1000円札を拾い使うことにも技術が必要だと思うのだ。それはもともと自分と全く関係のない紙幣であり、他札であるとも言える。

つまり知り合いでもない1000円札さんに、アナタのチカラをつかって私にジュースを飲まさせてください。とお願いすることは非常に難しい。

僕は無為な1000円札に対してどのような態度をもって、そいつを生かしてあげることができるのかをまず、考えなければならないと思っている。

 

"無為な親切"はそれは無為という言葉で済まされない、無為が存在している。

 

そこには見返りという対価が存在し、条件無しに手に入れてしまった自分にとって利益なるものは、実は利益ではなく、不利益である。

 

自分を自分として保つためには、その不利益を利益とするための具体的な行動と、考察が必要である。

そうしなければ、自分は無意識的に悪影響を被ってしまうのだ。

 

 

そういうことを考えてしまった。

非常に難しいもんである。汗

 

疑いをもってしまうと、企画ができなくなるので、もう思いついたらやってみた方がいいかもしれない。最近そんなことをずっと考えている。