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僕は不器用です。

何かしら興味のある事をつらつらと書きます。

あなたはひとりしかいない。

 

最近この言葉がよく頭の中で思いつく。

大した事ではないし、なによりも当たり前な事。

 

だけども、普段から僕は自分を無視しすぎていたのかもしれない。

だからこそ、いまになってこの言葉の貴重さが、尊さ?のようなものが感じられるようになった。

 

僕はひとりしかいない。きっと僕は僕を大事にしなければならない。

僕は僕を普段から大事にして、生きていかなければならない。

それは自分のことを守る事でもあるし、見守る事でもある。

 

それができるようになることで、僕以外の人たちに対しても、ひとりしかいない、特別な人として接する事が出来るはずだ。僕にとって僕は特別であり、僕にとって、僕と関わる人も特別なんだ。

 

みんなに心があるんだ。

 

だから、無碍にしたくない。相手の想いも、おれの想いも。

 

 

春は、花が綺麗だね。

公園で転んだり、走ったりしてみた。少し危ない動きもしてみた。2.5mほどの柵(軽いのでもたれると倒れてきそう)につかまって、端から端まで移動した。怖かった。笑

恐怖体験も懐かしいものだった。ああ、こういう怖い体験を何度もしてきたなあ〜、、と感じられた。

 

体を自由に動かす気持ち良さは懐かしい。

もっと子供帰りしてみたいなあ、と思う。


小さい頃から勉強をやってきた。小学校ではテストで100点をとっては親を喜ばせていた。もちろん、100点をとれば、その時に100円玉1枚を褒美として分け与えられていたからでもある。ひと月のお小遣いが500円であったその頃からすると、僕にとって100円はたいそうな大金であった。
家族の中では、(弟よりは)勉強がなんとなく出来た僕は何だか江國家に期待されていた。というよりも、ウチの家族が期待していた。あと、父方のおばあちゃんの期待も凄かった。そういった目に見えずとも、感じられる期待によって僕は動いていた。小学校の頃、近所に住んでいた友達が僕の上をゆく勉強できるタイプだったのにも拍車がかかった。親がさらに僕に期待を掛け始めていた事がわかった。習い事は習字にそろばん、、とお堅いものばかりだった。
「サッカーがやりたい、、」と一度僕と弟が親に相談をもちかけたことがあった。当時仲の良かった友達たちがサッカークラブに所属していたのだ。
その時に、親はかなりしぶりながらも了承してくれたことを今でも覚えている。
結局長続きはしなかったけれども、その記憶が僕にとってかえがたい救いになっている。親は僕たちをみてくれていた!という救いだ。

しかしながらその後も僕の勉強に対する羨望の眼差しは変化しなかった。
もちろん、弟に対してへの勉学の圧も凄かった。僕は寝たフリをしていたが、母親に勉強を教えられている弟はいつだって辛そうに見えた。
中学に上がっても、やはり母親への執念は大きく、僕の成績を逐一気にしていた。順位が何位だの、何点だの、、と結構覗き見してくる人だ。
それが僕にとっては母親という存在であり、親の役目なのだ、、と思っていた。親は子供の成績を気にしているし、気にかけなければ親ではないのだろう、、という変な刷り込みがなされていた。

だから、ぼくにとってはそれは当たり前としてあって、その当たり前しかしらない僕はやはり勉強を頑張らなければならなかった。
決して勉強は楽しいものではなかった。ただ、勉強ができると、担任の先生も良くしてくれるし、僕が可愛くなくても、可愛がってくれる。
そういう気楽さにかまけていたともいえる。僕は気楽さにかまけて勉強というものを人間関係を構築するための道具として使っていた。

なんて便利なんだ!勉強ができるだけで、この人生は上手くいく!親はそのことをおしえてくれていたのだ・・・!

と本気で思っていた。信じていた。何の疑いもなかった。

この先の人生なんてものを想像してみようとも思わなかったし、しなかった。
それが馬鹿だったのかもしれない。

けれど、高校生にあがる直前の中学三年生あたりに差し掛かった途端、少し考えた。
高校へはどこの高校に進学すれば良いのだろうか?

高校という学校は、自らの意志で選択する事が出来る。むしろ、しなければならない学校である。
選択の幅が途端に目の前に顕われたという事になる。いままで選択をしてこなかった。特に自分の人生というものにかかわることについては!

そのツケがまわったのだろうか。。。
けれど、なんとなく、自分の勉学の実力や、仲が良かった友人たちのことを考えてみて、どの高校が自分に適しているかを考えることはできた。
その結果選んだ高校は工業高校だった。進学校へは行けるだけの頭がないこともわかっていたし、別に勉強がそこまで好きではない自分にとって魅力的な学校だとは思わなかった。たしかに進学校は周りの大人から囃される学校ではある。成績がよければ褒められるし、進学校へ行けばもちろん褒められる。

けれど、どうでもよかった。この頃はまだ感情があったのかもしれない。この頃の僕は友情を大事にしたいと思っていたし、仲のよい友達ともっと一緒にいたかった。そいつが行く学校へおれもいきたい、となんとなく思ってた。それでよかった。
勉強もそこそこ頑張って、素直に工業高校へ自分の責任で行こう、、と。

母親は反対した。あなたの成績ならば、進学校へ進めるはずだ。。塾へいこう。と。

僕はめんどくさくなって、嫌だと言った。すると、母親は泣き始めた。

僕はこの頃の事を考えてみても、未だによくわからない。完全にこれは母親のエゴだとしか思えない。
「勉強をもっとがんばってもっと立派な人間になってほしい。」(立派とはどういう人間を差すのかすらわからないのだけど、、。)
という願望が母からは感じられた。

良い大学へ行って欲しい。母親の願いだった。

「自分が行けば良いだろ、、」と今では思う。ほんとうに、ポンと一言。。。それで終了である。

自分の夢は自分で叶えて欲しい。
おれは母親の、あなたの道具ではない。

"おれにはおれの考えがあるし、事情があるし、つまりはそれで動くだけの自分の権利がある!!"

そう言いたい。今では言える。だから少しマシになった。今では気付いている、だから少しマシだ。

でも、あの時の自分へはもう戻れないし、時を還ることだってできない。

一つだけ還る方法があるとするならば、母親に謝ってもらう事だ。

"勉強だけが生きる為に大事なことではなかった。もっともっと他に大切にしなければならない事があった。まずはあなたの意見をあの時、汲んであげず、進学校へ無理矢理すすませてしまったこと、申し訳ない。勉強よりもたくさん大事なことをみつけて、あなたの好きにいきてほしい。"

僕はもう頑張らないでいいよね。

僕の大切にしたいこと、みつけてもいいよね。

僕はもう一人で決めていけるんだよね。

決意すべき事は。。。

いつでもまず自分を大切にするという決断をすることだ。

 

ずっと自分を見過ごしがちだったおれだからこそ、わかる。

 

いかに自分にかまってあげるということが大事だったのかという事が。

 

今は自分の声をきいて、やりたいようにやらせてあげようと思っている。

 

死ぬ事は無いんだから別にいい。ちょっと無茶苦茶になろうが構いやしない。

常識から外れようが、ルールから逸れようが、どうってことはない。

 

やりたいようにやればいい。寝て、作って食べて、歩く。しゃべりたくなければしゃべらなくていい。ダルいなら、本を読んで過ごせば良い。Amazonで本を買っても良い。

たまに買い物へ行って気分転換していい。自分の生活に最低限度、必要なものは全部妥協せず自分の欲しい物を買えば良い。

 

なにをしたっていい。大丈夫。自分をちゃんと見守りたい。

 

くるり - ハイウェイ - Video Dailymotion

 

 

鼻水が垂れてきた。風邪を引いたみたいだ。部屋を暖かくして自分を労ろう。